2013年7月5日金曜日

R.Levin & J.E.Gardiner / Beethoven Complete Piano Concertos

クラシック音楽を、誇りのかぶった過去の遺物として愛好するのは面白くない。じゃぁ、どうするか。時には、演奏者の大胆な解釈による、いろいろな装飾があってもいい。早すぎたり、遅すぎたり、強烈にプッシュするかと思うと、静寂の中に音符を並べるような個性を楽しみたい。

本来、ピリオド楽器による古楽と呼ばれる演奏法は、原典至上主義的なもので、より作曲者が直接頭の中で考えていた音を再現することが至上命題となっています。ですから、ピリオド奏法の行き着く先は、誰が演奏しても単一の音楽。

そこには、演奏者の個性など入り込む隙間がないことになってしまいます。そんな音楽は博物館にでも飾っておけばいい。学生がレポートを書くときにでも役に立てばいいわけで、歴史の一部でしかありません。

実際はどうかというと、ピリオド奏法と一口に言っても、あくまでも当時の古い楽器を使用するということが共通点で、演奏者によってずいぶんと違って聞こえるのは、モダン楽器演奏と一緒。

少しでも、演奏者の感性も加わった生きた音楽を楽しみたいと常々思っているので、大編成のオーケストラよりも室内楽、室内楽よりも独奏曲の方が聴いていて楽しいわけです。

それは、モダンでもピリオドでも一緒ですが、古楽のオーケストラは比較的編成が小さめだったりして、楽器ごとのテクスチャーが明瞭になりやすい分、けっこう聴いていて楽しいということに最近気がつきました。

例えば、ホグウッドのモーツァルト交響曲。ベームに比べて、軽量で、やや学問的なこだわりが強すぎ。ですけど、より18世紀後半の見たこともないはずの光景が目の前に浮かんでくるような感じがします。

ガーディナーのベートーヴェン交響曲は、カラヤンよりも貧弱かもしれません。しかし、カラヤンのベートーヴェンはカラヤンの音楽です。それがベートーヴェン演奏の唯一の正解ではない。

そこで今度は、ガーディナーがフォルテピアノのロバート・レビンと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を聴いてみました。

フォルテピアノはモダン楽器の現在のピアノに比べて、響きが短めで音量が小さい。その分軽やかな響きが美しく、テンポ良く演奏されることが多い。

当然カラヤンとベルリンフィルみたいな超弩級重量戦車大隊みたいな中に入ってしまったら、存在すら気がつかれないほどです。ガーディナーは、そんなことは当然百も承知。オーケストラを鳴らすべきところと、フォルテピアノの伴奏をするところとを明快に振り分けています。

誰もが聴いたことがある第5番「皇帝」の出だしの勇壮なピアノ・・・あれっと思うくらいあっさりと響く。このあたりは、フォルテピアノの限界かもしれません。これはこれでいいのですが、モダン演奏の方がより曲のイメージをしっかり伝えているのかもしれません。

レビン=ガーティナーの全集では、一番面白いのは、第4番のピアノ五重奏版がはいっているところ。これは、もう完璧に楽しい。弦楽四重奏だけが伴奏でフォルテピアノに絡んでくるので、全体のバランスがちょうどいい。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集としては、強さと弱さの両方を確認できるという点で、画期的なものと言えるのかもしれません。世に数ある全集の中で、名盤として扱えるセットの一つであることは疑いのないところでしょう。