2008年1月31日木曜日

今日は大学で手術

このブログの最初の頃に「いつまで手術ができるのか?」みたいなとを書いたんですが、なんだかんだ言って、いまだにコンスタントに手術しているんですよね。今日は昼にクリニックを終えて、青山の女子医大の病院へ直行。この青山の病院は、ちょっとホテルっぽくてきれい。でも、中身は普通の病院なんですけど。

5年前くらいから、時々相談に乗っている30歳のリウマチ患者さんの手の変形の手術をしてきました。変形による日常生活の不便が増してくると、どうしても薬ではどうにもできないので、手術を考えることになってしまいます。特にこの方は全身性エリテマトーデスという膠原病の代表的な病気を合併していて、若いのに大変苦労しているんですよね。以前に指を動かす腱がか切れたのを直す手術をしているので、今回が2回目ということになります。

膠原病とは、内臓や骨・筋肉などを除いた結合組織と呼ばれる部分、特に血管に対して自分でアレルギーを起こしてしまう病気で、リウマチも広い意味では膠原病の一つです。ただ、治療方法が比較的独立していて、手術などのアプローチができるので膠原病の中では独り立ちしました。しかし、仲間の他の膠原病を合併することは、珍しくなく、特に全身性エリテマトーデスは特に多いと言われています。

全身性エリテマトーデスは、基本的には関節の変形は起きませんが、しばしば関節炎は起こし、その結果関節がゆるんでしまうことがあります。たいていはサポータで何とかなるので、手術的な治療が必要になることはありません。ただし、治療上副腎皮質ステロイドホルモンを多量に使うことがあるため、副作用で一部の骨が死んでしまい、手術が必要になることがあります。

一般的には、膠原病は血管炎を主体としており、血流が悪くなりやすいので、手術の時には注意が必要です。ただでさえ、手術では血管をいろいろ切ることになり血流を悪くするわけですから、できるだけいじりすぎないように注意しなければいけません。

今日は若い先生が助手に入ってくれました。若い先生と手術をするときには、できるだけ今何をやっているのか喋りながら手術をするようにしています。とりあえず、やらせてしまうという方法もありますけど、手の手術は、けっこう微妙な部分があるので、とにかく説明をするようにしています。ちゃっと聞いて、理解してくれるようなら、次のチャンスにはメスを預けることがあります。

手術は患者さんという相手がいることなので、きちんとした準備、つまり解剖学の復習、手術の術式の検討、そして実際の手術のイメージトレーニングをしていなければ、メスを持たすのは患者さんに失礼だと思います。これは自分の育てられた環境がそうだったのです。

自分も2年目の最後の方で、初めて腱鞘炎の手術をさせてもらえました。でも、それまでは多くの手術に助手として入って、上の先生から、実際に術者として手術をみているように指導されていて、助手でも手術記録を書かされ、必ず添削されました。ですから、3年目から当直で、いきなり夜中に緊急手術をするようなことになってもあわてないですんだんだと思います。

若い先生は手術ができないとつまらないということをよく言いますが、助手を完璧にこなす方がはるかに大変なことだと気がついてほしいと思います。別の言い方、いやきつい言い方をすると、助手は助ける手と書きますが、ちゃんと勉強をしてこないと邪魔手になっていることの方が多いんですね。ですから、本当の意味で助手になれるように、できる限り説明をするようにしているわけです。

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あっさり鶏むね肉長ネギ和え


えーっと、ちょっと簡単なレシピなんですけど、紹介してもいい? だめ? まぁ、いいじゃないですか。とりあえず、1月最後のネタですから、がまんして読んでくださいよ。

まず、一応、はっきりさせておきたいのは、うちではとーさんが食事の用意をしているのは75%くらいだってことです。当直した日やイベントがあったときは、かーさんがご飯を作っています。いつからでかねぇ? かーさんはクリニックの唯一の正看護士さんなので、ほとんどたち続けで働いています。そんなわけで、いつのまにか朝の弁当もとーさんの仕事になったんですけど、もともと嫌いではないので、定着してしまいました。

さて、今夜は鳥のむね肉をできるだけヘルシーに食べてみたいと思い、初めてやってみました。皮ははがします。これは冷凍しておいて、別の料理に使います。肉の部分を薄めに切ります。ちょっと多めの塩を入れて、少なめのお湯でゆでました。軽く火が通ったら、長ネギをたっぷりいれて、さっとあえます。ざるにあけて、お湯であくを流し去ったらできあがり。

あっさりしていますよね。洗い流すので、塩味もそんなに濃くありません。ご想像の通りです。でも、うちの肉食獣にも好評でした。ご飯のおかずでもOK。酒のあてでもOK。是非、お試しを。

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きょうのワンコ うぎゃー!!

いつも自分の布団の中に潜り込んで寝てしまううちのワンコなのでした・・・・。

ところが、今朝は大変!! うっ!? 何か冷たい・・・うわっ!! おしっこだぁー。一発覚醒、午前4時。それに何か臭い。うぎゃー!! ウンコもある。とーちゃんもおしっこまみれだぁ。

朝から洗濯機を2回まわして毛布やらなんやら洗濯・・・・・さむっ・・・・

2008年1月30日水曜日

The Best Miso-soup

自分は味噌汁が大好きなのです。もしも、もしもですよ、世界が破滅することになって、最後の食事をオーダーできるとしたら、あなたは何にします?

自分は迷わず、おいしい味噌汁とご飯、そして白菜の漬け物。俺は日本人だぁ~!! という食事を是非したいと思っているわけです。たぶんお袋が作ってくれた味噌汁は、ほとんどにぼしのだしで作っていました。

豆腐と絹さや、千六本の大根と油揚げ、わかめ、タマネギとじゃがいもなどなど、たぶん世帯数の数だけ、日本には味噌汁のレシピがあるんでしょうが、昔から自分のBESTはなめこと豆腐と長ネギの3点盛り合わせなのです。

これこそ、The King of Miso-soup、The Greatest Miso-soup in the World。

にぼしは、今ではむしろ手には入りにくいので、かつおだしの素を使っています。スーパーで2袋で100円のなめこを見つけたときには、もう迷わず決まりのメニューとなります。豆腐をいれて、だしを追加。なめこは煮すぎてはいけません。ちょっと煮立ったらOK。味噌はこうじ味噌がいいけど、赤味噌系の仙台味噌もいい。なめこに白味噌は似合いません。火を止めたら最後にたっぷりの長ネギをドバっ。なんか文句あっかぁ~!!

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2008年1月29日火曜日

親の気持ち

自分はこどもができるなら、できれば30歳までにほしかったんですよね。

だって、女の子だったら、いつかどっかの男を連れてきて、「彼と結婚したいの」みたいなことをいうかもしれないじゃないですか。その時、自分が60歳以上になっていたら、力じゃきっと負けるから、「はい、どうぞ」としか言えないじゃないですか。50歳代なら、変な男なら勝負できるんじゃないかと・・・

実際、最初のこどもは女の子で、当時働いていた病院の上司に生まれたという話をしたら、特別に休んでいいから病院に行ってこいと言ってくれました。それから、家内の実家の近くの病院まで数百km。ちょうど、この時が初めての東名高速道路の集中工事だったんです。いつもなら3時間くらいでいけそうなところまで、7時間くらいかけて行った覚えがあります。

それからは、「うちの子が世界で一番かわいい」と周囲に言い続け、親が親ばかしなかったら誰が親ばかすると本気で考えていました。自分が親になると、初めて、自分の親の気持ちがわかってくるんですね。こどもは親が何を言ってもわからない。でも親は、将来を考えてこどもにいろいろなことをいうもんなんですね。こどもが成長することはイコール親が成長するということなんだと、つくづく思い知らされました。

長男が生まれたときは大変でした。今度は自分の実家で生んだのですが、きたぁーもというので、病院に連れて行き、それから待合室で延々と待ちました。日付が変わって、だいぶ待つのに疲れた頃に「はい、お父さん、男の子ですよ」と言われて、ほっと一息。ところが数日後から高熱を出して、小児科の先生に呼ばれて「死ぬかもしれません」と説明され、呆然。親として、しかも医者なのに、何もできません。ただひたすら待つだけです。でも、無事退院。

次男の時は、自宅の近くで出産。いよいよの時は、近所の人にいろいろ頼んで産科に家内を連れて行き、今回は何事もなく出産。両方のおばあちゃんも交互にに手伝いに来てくれました。

こんな話は、他人が読んでもおもしろいものでもないでしょうが、まあいつかこどもたちが、これを読んだとしたら(すでに読んでいるようですけど)、あまり夕食の話題にはならないので、ちょっとは親の気持ちも理解してくれるのではと思っています。

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2008年1月28日月曜日

壁に耳あり障子に目あり

今日は、午後の診療を休ませていただいたのですが、それというのも個別指導というものをやってきたのです。これは開業してから1年半から2年くらいのところで、ちゃんと保険診療をしているかチェックするから、カルテやらなんやら資料を用意して来るのだぞ、という会なのです。

とにかく資料を準備するだけで、たいそう疲れてしまいました。うちは電子カルテ+デジタルレントゲン(フイルムレス)で診療をしているわけで、これは国の要望に沿った形式であるわけです。ところが、資料は全部「紙」で持って行かないといけません。レントゲンも紙に印刷してこいというわけで、電子カルテを通常の紙カルテの形に印刷し直すなんて、ほんと馬鹿げた話です。こんなことをやっているから、電子カルテが普及しないんだぞ!!っと思ってしまうわけです。

それはともかく、閑話休題、By the Way、まず市営地下鉄に乗って、ふっと前を見ると患者さんが座ってました。「おー、奥さん、元気?」といきなりパンチ攻撃。「また、おかしくなったら行くから」といって途中で失礼しました。

指導の会場について、さて指導の先生を見てびっくり。10年くらい前に、一緒にアメリカの講習会に行ったことがあり、今でも患者さんを時々お願いしている有名な先生なんです。今年の正月明けにも、一人紹介して手術をしてもらったところ。おかげで、やさ~しく指導してもらえました。「もう少しカルテを書いてね」といわれて終了。

帰り道、地下鉄に乗ると、またもや患者さんと遭遇。「これから行きますから」って、今日は休診ですから。おしゃべりしていたら、センター南で降り損ないました。

センター北で降りると、目の前に別の患者さんが。「なんで、こんな時間にここにいるのよ」と言われ、かくかくしかじかと説明しているうちに、南行きの電車を一つ乗り過ごし・・・・ほんと漫画みたいな午後でした。

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2008年1月27日日曜日

つきを呼ぶ医者

自分が医者になったばかりの時には、卒業した大学の夜間の救急は小さな夜間専用外来があって、入院が必要なときには各科の病棟に入院することになっていました。救急専門の医者はいないので、看護士さんが何となく当直を呼んでいたんですかね。

2年目のときに、全国でも早い救命救急センターが完成し、救急専任の医者とローテーションで回る研修医が配属されるようになりました。守備範囲は神奈川県西半分全部と伊豆半島の東側までを含む広い範囲で、当初より絶対に救急車を断らないことが徹底していたのです。おかげで、すさまじい野戦病院状態となりましたが、医者は育ちました。自分で判断できることは、さっさと決めて行動に移さないと、どんどん仕事がたまってしまいます。

自分は2年目の最後のローテーションで救命センターに行きました。整形外科以外に、一般外科、放射線科、麻酔科などをやりましたのでけっこう実働できたと思います。この時に直接胸の中に手を突っ込んで、心臓を直接マッサージするなんてことも経験しました。ローテーションが終了して3年目からは希望していた各科の専属となりますが、当然整形外科は外傷のからみで救急とは縁が切れるはずもなく、ほぼ毎日のように救命救急センターに日参していました。

基本的には1カ所しか骨折が無いようなヒトは運ばれてきません。頭やお腹のケガは当たり前。「今日は細かいのもいれると34カ所骨折していた」とか、「珍しく3カ所しか骨折してなかったよ」という会話が普通にかわされます。そうなると、全部をこなしている余裕はありません。開腹手術が始まる横で、邪魔にならないようにさっさと後からでも何とかできるような程度に処置をします。骨折のけがの治療の方が後々まで時間がかかるのは当然なので、初期の応急処置をちゃんとしておかないと困るのは自分です。

救急のスタッフからは「整形に入らず救急にはいったんか?」と言われ、脳外科の先輩には「また、お前か!」とあきれられ、外科の先生からも「君が当直だとろくなことがない」というありさまでした。4年目と5年目は外の病院にいましたが、6年目に大学に戻ってくると、またもや同じ状況で、ピーポーピーポーという救急車の音はセーケーセーケーとまじ聞こえるわけです。さすがにリウマチセンターに移ってからは救急は基本的にないわけです。15年間救急車が当たり前の生活をしてきたので、最初は落ち着かない気分でした。

そして開業して、当然救急とは縁を切ったようなつもりでしたが、医師会の関係で救急関係の仕事が入ります。そして、生活のために当直をするようになると、またしても患者さん急変という場面に遭遇するようになりました。とはいっても、いわゆる「老人病院」での当直なので、救急車はそんなにひどいのは連れてきません。

むしろ、病棟が大変。ご家族と主治医の間で病状の納得ができていて、無理に延命処置をしないケースが多いので、急変時には家族の到着まで何とかするのが一番の仕事になります。しかし、お年寄りはそんな話ができていないうちに急変することはしばしば。こういうときはあせりますよね。心肺蘇生全開モードになるわけですが、こちらも普段を知っているわけではないので、状況把握はほとんど不可能なわけです。家族の方に責められたこともありますが、できるだけするしかありません。

そんなことが重なって、当直に行って病棟に顔を出すと、またあんたかと言われるようになってしまいました。実は、今朝もいきなり心停止で起こされました。救急講習会を成果を見せなければ、というわけではないのですが、幸い心拍再開できたものの、意識が戻らず呼吸が無理なので、ご家族の希望で人工呼吸器をセットすることになりました。

こんなことはそうそう無い病院で、着実にそんな目に遭遇している自分はラッキー or アンラッキー?

(答え:ラッキーだと思っています。おかげで医者としてのカンがにぶらずにすんでいる・・・と思う。たぶん。)

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サッポロ一番 熊本とんこつラーメン

まー油入りに惹かれて買ってみました。サッポロで熊本というのも、ふーんっというところですが、まずパーッケージなんですけど、真っ赤なところは熊本郷土玩具のお化けの金太郎を思い出させます。ただ、デザインとしてはあまりぱっとしないなぁ。

麺はノンフライ、熱湯4分です。最初に入れるかやくにはちょっとだけきくらげが入っているのが、何となく嬉しいかも。スープは粉と液体にわかれていて、さらにレトルトパックがついている。何が出てくるかわくわくします。

さて、お湯を入れかやくを入れ、しばし待ちます。もういいかな、ってんで蓋を開けます。スープは粉の方は、けっこう白い粉と大粒の黒いものがいっぱい。焦がしたにんにく?かなぁ。液体は、何と大量のまー油だ。レトルトはチャーシューとシナチク。スープについてはなかなかいけるんですが、ただ熊本ラーメンといわれるとちょっとなぁ、と思ってしまいます。

熊本といえば、桂花ラーメンがゴールデン・スタンダードですよ。ノンフライ麺は味が染みにくいと思いませんか。なんか、スープと麺が別々に存在している感じなんですよ。それにちょっとまー油はおおすぎかなぁ。それぞれが一体となった感じがする名作が、やはりカップヌードルですかね。

というわけで、スープは★★、麺は×、かやくは★というところで総合★。一度食べればいいかなという評価です。

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2008年1月26日土曜日

ぴあの

クラシックなんて、譜面通りに演奏してんだから、誰の演奏でも一緒じゃん。一応、有名な曲くらい知ってないといかんので、とにかくどれでもいいから安いもので持っていればいいじゃん。というのが、何年か前までの自分の気持ちでしたっけね。特にピアノは苦手で、どれを聞いても同じにしか聞こえない。Midiの打ち込み音楽でもいいじゃん、みたいに思っていたんですね。

でもね、2000年に復活したフジ子さんを聞いたときに、何このピアノ、って思ったわけです。一応世間の評判通り、何か今までに聞いたことがある楽譜をなぞっていくだけの音楽とは違うものがあったんですね。魂を揺さぶるというのは大げさですが、ピアニストの叫びが伝わってくる感じなんですよ。

そして、2006年夏にGlenn Gouldに再会したんです。中学生以来、30数年ぶりに聞いて鳥肌が立つようでした。J.S.BachのGoldberg Variationsは、そのあとの半年くらいの間に本当に数十回は聞きましたよ。Gouldはペダルをほんど使わないんです。時には、信じられないことに足を組んで演奏するくらいですからね。自分の指先の力だけで、一つ一つの音を紡いでいくという感じです。

他の演奏家のGoldbergもいろいろ聞き比べてみました。ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズ版など、それはそれは様々な演奏があるんですね。でも、自分にとってはGouldがバイブルです。

そして、それからクラシックのピアノというものを本気で聞く気にさせてくれたわけです。Beethovenのソナタといったって、情熱的な演奏、ロマンチックな演奏、淡々とした演奏など様々で、演奏者の解釈によって、それこそvariation状態です。

技巧的な部分ばかりが話題になりやすいLisztだって、トータルな音楽の完成度があるから技巧が光るんですよね。交響曲や弦楽四重奏が中心のShostakovichも、Bachの平均律クラーヴィアにヒントを得た前奏曲とフーガ集が素晴らしい。HaydnもBrahmsも、なかなかすぐれたピアノ曲をいっぱい作っているんですね。

ピアノは最も完成された楽器の一つなんでしょう。一人でソロも伴奏も、オーケストラなみに繰り広げる力があるわけで、あーちゃんと習っておけばよかったと、思うのでした。隣家のお嬢さんはお母さんからピアノを習っていて、時々怒られて泣いている声が聞こえたことがありましたが、漏れ聞こえてくる演奏がどんどん良くなっていて、勝手にがんばれー、と応援してしまうのでした。

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2008年1月25日金曜日

医師会だよ、全員集合!!

今日は、都筑区医師会の新年会でした。センター南医療ヴィレッジからは、自分の他にあざみ野棒屋先生小児科の村長、そして内科のただ先生が出席。その他にも全部で50名弱の先生方がいらっしゃいました。

いつになく良好な出席率である理由は、担当幹事のつばさ先生の努力のたまものなのです。今までは鷺沼の豆腐料理のうかい亭でやっていたのですが、今回の場所は医師会館なのです。ばらばらに来てもいいように、7時過ぎからケータリングで用意した食事を食べたいだけどうぞ、ということにして、8時過ぎて会長の挨拶や新入会員の紹介。9時ぐらいで公式行事は終了。あとは好きにしていいよ~、という構成だったのです。

皆さん、気楽に立ち寄る感覚で集まって、ワイワイガヤガヤと談笑していきました。村長からは村の春祭りを企画せよとのお達しがあり、今回は村はずれのDr.Aも是非に誘うことになりました。K町のDr.Hも会長から目を付けられているようで、いろいろ仕事のお誘いがありそうでした。ブログ開始の宿題も忘れないでくださいよ。区役所の保健福祉センターのT先生もいらっしやっていたので、今年の9月には、また医師会と共同で講演会やら救命講習会やら企画しましょうとお話ししました。

古くからの先生も新しい先生も、気楽にしゃべることができて、なかなかいい企画だったと思います。

自分はあざみ野駅に9時半にバスの最終だったのですが、皆さん帰らないので気がついたら10時近くなっていました。しかたがないので遠回りのバスで帰宅したところです。

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2008年1月24日木曜日

薬剤師と救命講習会

本日は救命講習会の1日でした。医師会防災・救急担当理事としての仕事です。午後は一般向け講習会。これは横浜市大の救命の先生に講師をしていただき、かなり本格的なものでした。

毎年、医師会で企画しているイベントですが、医者もいざという時のために、もう一度、しっかりと練習をした方がいいですよね。自分は当直バイトの関係で、今でも月に数回心肺蘇生をするはめに陥っていますが、普通は開業しているとそうそう経験しませんからね。

そして、ダブルヘッダーで夜の部がありまして、こちらは都筑区薬剤師会のリクエストによる講習会。最近はあちこちにAEDというものがあるが、医療関係者として一度はどんなものか勉強をしたい、という希望がありまして、それならばってんで協力しないわけにいきません。夜なので、市大の先生に頼むのは申し訳ないので、自分が微力ながら講師をさせていただきました。もっともAEDのメーカーの方にも大々的に手伝ってもらいましたが。

AEDといのは自動体外式除細動機というもので、いわゆる電気ショックの道具です。交通事故死よりも多い心臓突然死の大多数を救える道具で、都筑区では地下鉄のすべての駅の他、区役所などの施設に多数配置されています。確かに簡単な道具で、愛知万博でも利用されたニュースは記憶に新しいところです。でも、一度見たことがあるか無いかで大違いです。医者だって、見たことがないと、どうするのよ、って感じでしょう。

ちゃんと知っておこうという薬剤師さん方には頭が下がります。しかも、集まった人数が30数名という多さにもびっくりでした。そろそろ終わりという時間にも新たにお出でになるので、さらにびっくり。大変に熱心にAEDの使い方を聞いていただきました。

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2008年1月23日水曜日

あざみ野うかい亭リベンジ

実は、去年の夏にあざみ野うかい亭にいったのですが、その時は大変に混んでいて、オードブルの後なかなかメインのコースのシェフが登場せず、その間にシャンパンなどを飲み過ぎて、一期に深酔いしてしまいました。

もちろん、皆さんご存知だとは思いますが、うかい亭はステーキハウスで、少人数の席で鉄板を囲んで、中央でシェフが魚介・肉を焼いてくれるわけです。

前回は、何を食べたかほとんど覚えていなくて、何をしに行ったのかわからんちん状態だったのです。さて、本日は半年ぶりにうかい亭。今日こそは、しっかり味わうぞ、という決意のもとに向かいました。

メニューは焼きたらば、あわびの塩竃、そしてステーキとガーリックライスという感じで、もちろん言うことはありません。ただ、年々霜降りはつらくなってきているのを今日も実感しました。負け惜しみでなく、油が多すぎて美味しいと思えません。ローストビーフのようなもも肉のほうがいいなぁ。

今日は、酔っていないので中の調度品を眺めてみました。ライティングが凝っていますね。写真は、通路の途中のベンチのところですが、いっぱいの光であふれていました。

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2008年1月22日火曜日

明日もがんばるよ

世間では「お医者様」という表現がよく使われ、社会的な信用が大きく、高給取りの代表のような扱いを受けることがしばしばあります。でも、自分が医者になって20数年たつのですが、少なくとも知る限り給与は変わっていません。20年以上もですよ。うっそー、ほんとぉ?、やっだぁ~(古すぎ)といわれるかもしれませんが、実際そうなんですよね。

卒業したT大学での研修医の初任給は基本給5万円+住宅手当2万5千円-源泉徴収でした(当直料0円)。2年目で基本給が7万5千円にあがります。3年目から基本給が14万円くらいになり、やっと当直料がつくようになりました。自分の医局の教授は2年目まではバイト禁止としていたので、3年目からは週に1日研究日と称して、外の病院でバイトができます。そうすると月に30万円くらいの収入アップとなります。

その後、外の病院に出向すると年収で1000万円程度になるわけですが、結局年々上がることはなく、また、1年から2年単位で勤務先が変わるので、退職金は関係がありません。15年間たつて、大学を移籍したときの退職金は数百万円でしたが、これは毎月とられていた退職金の積み立て分でした。

東京の大学に移ってみると、もっと悲惨で年収は600万円程度でした。バイトが命となります。住宅ローンはどーすんだ。さて、開業してみると・・・いまだに所得税を払わなくてもいい状態なわけで、ひたすら当直してなんとか生活しているとい状況ですもん。

でも、ここは愚痴を書いているわけではないのでして、それぞれの時期は自分を形成していく過程で必然があったことなのです。研修医は医者としてのスタートとして、欠くことはできない時期でした。整形外科医として充実させてくれたのは、出向先の勤務だったし、数年ごとに大学に戻ると、知識をアップデートすることができたのです。そして、扱う範囲を大幅に広げてくれたのが東京の大学なわけで、結局開業する下地を作らせてもらえました。そして、開業は最終的な自分の目標な訳で、大学のブランド力に頼らず自分の力で、直接医療を行う環境です。患者さんをよくも悪くもするのも、自分の腕一つ。

それぞれの環境では、自分を支えてくれる多くの人々がいるわけで、また期待してくれる方々に出会います。それがあるから、がんばれるわけです。自分のスタイルが出来上がってくると、ぶつかることも出てくるわけですが、それぞれの立場の違いを理解する努力を惜しまなければ、たいていのことはポジティブな方向へと動いてくれるものだと思います。天につばを吐けば自分に返ってくるわけで、逆に相手を思いやれば自分にもよくしてくれるもので、自分は性善説で物事を考えたいと思います。

ちょっと違う話かもしれませんが、六代目三遊亭圓生の十八番に「百年目」という演目があります。人情噺のような落語なのですが、華やかさもあり大好きな噺の一つです。大店の番頭は部下に小言ばかりを言うので嫌われていましたが、裏では遊びまくっているんです。それを知った旦那が、番頭に教え諭します。

一軒の主を旦那と言うわけを知っていますか。五天竺の中の南天竺に栴檀(せんだん)という立派な木がありました。根本にナンエン草という雑草が茂っていたので、ある人がナンエン草を取り除いたところ、栴檀は枯れてしまいました。ナンエン草は栴檀の露で育ち、そして栴檀の肥やしになっていたというわけです。栴檀が育つとナンエン草も育ち、持ちつ持たれつという関係だったのです。栴檀の「だん」とナンエン草の「ナン」から「だんなん」・・・「旦那」になった。店の中ではお前は栴檀、店の者がナンエン草。ナンエン草に露を降ろしてやりなさい。

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2008年1月21日月曜日

かに(もどき)玉。

たまご8個をといて、その中に・・・長ネギ1本、にら、かに風味かまぼこを入れると、どんぶり1杯まるまるになりますので、これを中華鍋で弱火でゆっくり焼いていきます。えいやっと言ってひっくり返すのは、たまご8個までは自信がありますが、それ以上はけっこう気合いがいるんですよ。

巨大卵焼き(一部生が残った方が美味しい)ができたら、あんかけを作ります。うちはごく一部に甘酢が苦手な奴がいるので、にんにく・しょうが・みりん・オイスターオイルに余っているインスタントラーメンのスープを利用します。

今日はSPECIALで、昨日のタンメンに使ったシーフードミックスの残りの1/2を入れてみました。予想通り、大好評でした。ポイントはやはりたまごの生を残すことだと思います。安上がりでうけがいいので、ちょっとメニューに困ったときには絶対におすすめなのです。

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2008年1月20日日曜日

追いかけてタンメン

野菜を食べるには・・・タンメンはいいなぁ。このブログを見ていたら、すっきりしたタンメンを食べたくなりました。どうせ、作るなら・・・
スーパー主婦に挑戦!!

にら 2束238円のうち1束=119円
もやし 1袋48円=48円
長ネギ 3本158円の1/2本=26円
しめじ 特売1袋68円=68円
シーフード 特売1袋398円の1/2=199円
なると 1本168円の1/2=84円
豚肉 特売切り落とし1kg680円のうち100gくらい=68円
そして麺はスーパーの定番 まるちゃんの3食入り198円から5食分=330円
ちょっと、ずるいのですがキャベツと小松菜はもらい物でただ。中華鍋からはみ出すくらいの野菜炒めを作りました。

以上、しめて942円。これを4人で食べたので、1人前236円・・・
(値段はすべて小数点以下四捨五入)

・・・・負けた・・・

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2008年1月19日土曜日

2008年のリウマチ戦略

関節リウマチの治療戦略は激変の時代にあり、1999年のメソトレキセート(リウマトレックス)という免疫抑制剤の登場に始まり、2003年の生物学的製剤と呼ばれる新しいタイプの薬の導入により戦国時代化してきています。

さらに抗CCP抗体およびMMP3という検査項目が保険適応となり、診断をするための材料も大きく変わろうとしています。もちろん、患者さんから見れば歓迎すべきことであって、より治癒に近づくことが可能となったといえます。もちろん、そのためには副作用というリスクもこれまでと同様に伴う覚悟が必要です。

医者の側からすると、場合によっては混乱のさなかに放り出されたようなところがあることも事実であり、これらの急展開について行くためには相当の努力が要求されているのです。当然、学生のときに習った数十年前の知識の大多数が役にはたちません。特に、この10年間で急速な進歩を見せた遺伝子レベルの医学知識を基にした最新の知見は、従来の常識を大きく覆していると言っても過言ではありません。さらに、社会から要求される成果と責任が、無制限に肥大化していることも無視できません。発症する年齢の高齢化も現実には起こっており、治療リスクの増大した患者集団に対しての治療方法の選択は困難を極めています。

さて、ここからは現実的な話に戻りましょう。自分はクリニックの医者であり、学問として医学の研究者(programmer)ではなく、実践的な医術の施行者(application user)です。もちろん、知識の探求欲がまったくないわけではありませんから、一部研究的な気持ちが顔を出す部分はないとはいえません(mania)。

現在できることは大病院でもクリニックでもさして違いはありません。つまり、ほとんどの関節リウマチの患者さんは、多発関節痛という初発症状により医療機関を受診することになります。一部は、健康診断などで検査の異常値を指摘され専門医への受診をすすめられます。その中から、本当にリウマチなのか否かを見極めることになりますが、リウマチ専門施設では数10%、クリニックてせは数%の患者さんがリウマチであろうという印象を持っています。

従来はアメリカの学会が作った分類基準が唯一の診断のよりどころでしたが、確かにこれを満たせば確定的といえるものの、早期発見には無理がありました。そこで、日本のリウマチ学会による早期基準、そして(非科学的ではありますが)医者の経験からくる「カン(あるいは推理)」が導入されてきたのですが、やはり副作用のリスクの高い薬剤の使用に踏み切るには根拠として弱すぎると思われます。

そこへ登場してきだのが、MMP3という検査であり、より病気の勢いに比例した動きをすることから、より確信を持つことができる要因になりえます。さらに昨年から保険適応となった抗CCP抗体検査は、それまでのリウマチ反応と呼ばれている診断的には必ずしも役に立たない検査と比べ、かなりの診断精度を上げることができると考えられています。実際に自分の「カン」とも比例することが多く、薬物療法を開始する根拠として、非常に重要であるという印象を持っています。

またレントゲン写真も、従来のフィルムでの閲覧と比べると、デジタル化したコンピュータ上では画像のコントラストなどの条件を容易に変化させることで、微細な骨変化や周囲の組織の腫れ具合もキャッチすることが可能になってきました。さらにMRI検査の画像がもっと簡単にできるようになれば、診断への寄与は大きく増大すると思われます。

これらの客観的なデータをしっかりとベースにおいていれば、診断上最も大事な臨床症状(患者さん自身から見えてくる情報)と医者の主観的推論が、科学的な根拠として通用するようになるのです。今年は複数の新たな生物学的製剤が登場する予定ですので、治療面ではさらなる変化が起こる可能性があります。だからこそ、既存の治療法についてはさらにしっかりとした評価を下すことが大切であり、よりいっそうの努力が求められると考えています。

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2008年1月18日金曜日

Let's 医師会 1月

今日は医師会、月に1度の理事会でした。新年早々で、あまり話題は多くはありませんでしたが、相変わらず4月からの特定健診について、いろいろ話がありましたが、結局結論はおあずけ。

今まではそれぞれの自治体がお金を出して、基本健診という制度で誕生月に無料の健康診断が行われていました。しかし、もっと積極的な健診をして、健康への意識を高め、病気を早期に見つけることで医療費を抑制しようという考え方から、生活習慣病を中心とした健康審査をなかば強制的に進めようというものです。

対象は本人だけでなく、家族も含まれます。お金を出すのは、自営業の人が加入している国民健康保険の場合は自治体、会社員の人が加入している社会保険の場合は各保険組合になり、目標健診達成率が決められており、達成できない組合にはペナルティが課せられることになっています。

横浜市は医師会と契約し、医師会に入っている医療機関が健診を行いますが、社会保険の組合は自ら登録した医療機関との契約になります。ということは、当然健診料が安いところと契約したいわけですが、ここで問題になっているのが、電子化した健診結果報告義務。

大雑把にいうと、これまで基本健診では医療機関には1件1万円の収入があり、検査料などを支払うと収益は4千円くらい。ところが、特定健診では標準価格は8千円に設定されました。と、いうことは収益は2千円。しかも、健診後に問題がある場合には、20分かけて指導をしなければならないというのです。さらに電子化したデータを作成するためには1件につき数千円の手間賃がかかる見込みなのです。こりゃ、誰がみたって、割が合うはずがありません。

だらだらした解説になってしまいましたが、でもって、結局医師会としても積極的に協力していこうとは、とても言えないわけで、今だにどうすんのぉ~、という状態なのです。それでも、一般の方々に不利益が及んではいけないので、何とか安い電子化手順はないか模索しているわけです。横浜市の某区の医師会では数百万円出して、会員に特定健診のためのソフトを購入・配布したところもあります。ただ、制度そのものの根本が不透明な現状で、それだけの投資は危険すぎるというのは明白。どーすんだよぉ~!!

医師会の仕事をするようになって半年、多少は事情もわかってきましたが、まだまだよくわからないことだらけ。それでも、次第に話のできる先生が増えてきました。都筑区の在宅医療の中心的役割を果たしているSが丘のK先生に、しばらく開催していない在宅研究会を是非再開してくださいとお願いしました。

自分のようにマンパワーの足りない診療所は、自力で積極的な在宅支援を行うことが難しいので、在宅研究会での他の先生からの情報や、協力体制が必要なんですよね。救急での入院施設、療養での入院施設、そして高齢者の入所施設をそれぞれ確保していますが、正直に言って、いつまで確保し続けられるかという不安はあります。それぞれに何らかの医療協力をし続けるパワーがいつまでもつか・・・

さらに、在宅医療にからんだ開業医の役割が強化されることになると、開業医同士の連携はさらに必要とされます。準備は早すぎることはありません。医師会は強力な推進役になれる唯一の組織のはずですから。

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パンパン弁当

米がない!! この前の10kgはどこに行った~

って、連中の腹の中に8割でしょう。うーん、それじゃぁ、今までありそうで無かったパンでいくしかない。たまたま、2斤あるし。

カツサンド、ツナ+オニオン、ソーセージでホットドック風という3種類。ごはん弁当より時間がかかるぅ~

親は買い弁でいきましょう。いってきま~す。

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2008年1月17日木曜日

医療はITバブルにはほど遠い?

医療の世界では、カルテという名前はドイツ語を語源としているわけで、英語で言えばカード card となります。日本語では診療録。つまり、診察の記録を記すものなのですが、カルテは完全に日本語化した言葉になっているわけで、単なる診療の記録を超えて医療機関が診療報酬を受け取るための根拠として公的文書の扱いとなりますし、ある意味究極の個人情報バンクとも言えるわけです。

従来は紙に書いて保存していたわけですが、平成13年に厚生省が「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン」というのを発表して、電子カルテシステムの普及は医療の質と効率の向上に不可欠で、平成18年度までに6割の普及率を目指すとぶちあげました。

では、実際にはどうだったか。平成16年春までに病院1.3%、診療所2.5%、平成17年10月で病院5%、診療所6%という状態です。平成18年の診療報酬改訂では、これらのあまりの低普及率を受けて、電子カルテ加算という項目ができて普及を促進しようという方針が、再度確認されたといえるでしょう。

しかし、平成15年まであった電子カルテ導入に対する補助金が消失したこと、また電子カルテ加算も初診のみ30円という低設定では、とても普及率アップにはつながりません。それよりも、最大の問題は日本の医療システムにあります。

つまり、日本では、医師が診察とカルテ記載を同時に行うスタイルが定着しているため、電子カルテ導入により手書きに比べてコンピュータ操作に注がれる時間が多くなり、作業効率が著しく低下するわけです。特に、もともとコンピュータを使用していなかった年齢層でのアレルギー的な反応が顕著です。

アメリカでは医師に対して、カルテ記載などを担当する「秘書」のような存在が別にいて、診察と記録は別々の作業となり、電子化によりさらなる効率化が可能でした。さらに近年の診療の現場での書類の激増により、紙媒体の駆逐が不可能な状況に磨きがかかっているので、電子化導入のメリットがまったく見えてこないというのも事実ではないでしょうか。

それでも国は2010年までに、診療報酬請求の強制的なオンライン化を進めています。実際、4月から始まる今までの基本健診(誕生月に無料で受けることができる健康診断)に変わって特定検診という制度では、電子化を義務付けるとしています(実際、いまだに実務については未定の部分が多くどうなっているのやら。この辺の混乱はあざみ野棒屋先生が詳しいです)。

たとえば毎日20人の初診の患者さんがくるとしたら(あざみ野棒屋先生のところならいざ知らず、うちではありえませんが)、およそ年間5000人、30円×5000=15万円の増収でしかありません。電子カルテ導入には、だいぶ安くなったとはいえ、一般的には数百万円かかります。導入コストを回収するのに数十年かかることになります。ところが、コンピュータの減価償却は5年間(実際にはもっと早いでしょう)ですから、おそらく機器の更新すらままならないというのが現実です。ただし、もちろんカルテ保管スペースがほとんどいらない、事務員を減らすことができるので人件費が減らせる(その分医者の仕事量が増大するのですが)というメリットもあります。

こう書いていると電子化を否定しているような感じになりますが、もちろん自分のクリニックは電子カルテです。それによるトラブルで気が狂いそうな事態も何度も起きていますが、コンピュータ好きとしては、可能な限り紙媒体を減らし、自分の中では効率的な運用をしているつもりです。

しかし、このような現実の中では、絶対に必要なことはわかってはいても、全体がすぐに電子化導入するという状況は考えにくいので、相当なてこ入れがない限りは、さらなる医療界の疲弊化につながる危惧があると考えているのは自分だけでしょうか。患者さんと向き合うことが医療なのであって、事務作業のために医療の質が変わることは本末転倒になりかねません。

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オムハヤシライス

保存食の棚のなかに「完熟トマトのハッシュドビーフ」を見つけたので、今日はハヤシライスにしようと思い立ったのですが、それだけでは芸がないのでオムハヤシにしてみました。

と、いうだけの話なんですけどね。牛肉よりエリンギの方が多いかも。ご飯は少なめにしたのですが、一人卵2個分のオムレツが乗っているので、けっこうおなかがいっぱいになってしまいました。ウップ!!

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2008年1月16日水曜日

公式新年会開催

クリニックの皆と新年会をしてきました。でもって、ふぐです。箸でざぁーっとふぐ刺をすくい取りたい、という社長のたっての希望で決定しました。

場所は、あざみ野。玄品という店です。1年位前まではお惣菜屋さんだったところなんですが、おっといつのまにかふぐ専門店になっていた。メニューは・・・・ほんとにふぐだけだ。ほとんどサイドメニューがありません。ぷりぷりコラーゲンの皮、唐揚、焼きふぐ、鍋など、おもだったものだけしかありません。

社長はひれ酒でうはうはです。もともと味がほとんどない身なわけで、食感命のふぐですが、我々は天然も養殖もわかりませんので、十分に堪能できました。いろいろ運んできてくれたのは、金子さんでした。一応、簡単な解説をしてくれます。ひれ酒ではファイヤーショーをやってくれたり、さいごの雑炊を作ってくれたり活躍してくれました。

焼きふぐは炭火で焼きながらいただきます。ボン酢ベースと味噌ベースの二種類の味で楽しみました。焦げた臭いがたまりません。鍋はIHヒーターの上にかごを乗せて、紙で囲ってあるところに水をいれます。どうなってんの? と思ったら、中に鉄の丸い板が沈めてあるんですね。へぇー、これでもできるんだ。ちょっとした発見です。

今夜も、あっという間の3時間でした。家に帰って、留守番部隊の夕食を聞くと、コンビニ弁当だそうでして、黙ってブログ書きに励むことにしました。

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2008年1月15日火曜日

都筑区ドクターブロガー新年会

本日は市ヶ尾の焼肉屋さんの壱語屋へ言ってきました。K町のDr.MとDr.H、そしてわがセンター南医療ヴィレッジのあざみ野棒屋先生とご一緒させていただきました。以前にもお誘いいただいたのですが、都合がつかず今回が始めての参加です。

まったくの初対面ではありませんが、ゆっくりお話しするのは今回が初めてで、あっという間の3時間でした。昨日は当直だったのですが、急な誘いにもかかわらず参加して大変楽しかったです。

毎日ブログ更新している面々なので、いまだブログを躊躇しているDr.Hはこれをきっかけに是非始めましょう。先生の話は聞いていてもとても楽しいので、きっと面白くなると思います。それぞれのブログの裏みたいなものが垣間見えましたが、3者3様の人柄がでているから続けられているんですね。自分にうそをついていたら、続けられませんよね。

話が楽しくて、写真を撮るのを忘れてしまいましたので、食事の話はありません。明日は別の食事の話をしますのでお許しを。

三遊亭圓生 / 紫壇楼古木

紫壇楼古木 - しだんろうふるきは、古典落語の一つで故六代目圓生の演目のひとつ。国立劇場でのテープが残っていますし、圓生百席という集大成のレコードでも当然聞くことができます。

この前、患者さんと物売りのかけ声の話をしていて、豆腐屋さん、金魚屋さん、竿だけ屋さん、棒屋さん・・・はいませんけど、昭和にあった物売りがなくなったという話題になりました。

戦前にあって、戦後にない物の一つに羅宇(らお)屋さんがあるということになって、確かに見たことないですよね。ラオというのはキセルの雁首(がんくび)と吸い口とをつなぐ竹の管のこと。昔はたばこの葉をキセルにつめて吸っていたわけで、間の竹が傷むので、すげかえをする商売があったわけです。

この話は実はらお屋さんと思っていたら、紫壇楼古木という立派な方(と、いっても落ちぶれた講釈師)でいろいろ話が展開します。狂歌噺というジャンルでいろいろな川柳が登上するもので、江戸文化をいろいろ知ることができる楽しい噺。圓生はこの手の噺はさすがの演目で、理に走りすぎず知性のある羅宇屋を演じています。

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2008年1月14日月曜日

あなたの心に斉藤さん

自慢じゃありませんけど、自分は怒らない。というか、怒っていてもできるだけ我慢します。けっこう、顔には出てしまうようですが、見た目だけは笑顔一番を崩さないように気持ちの上でがんばっているつもり。こどもたちに対しても年に数回怒鳴る程度だと思います。怒りすぎると「うざい父さん」になってしまいますが、他人に対しては数年に一度です。というか、最後にあからさまに怒ったのは、前の大学病院に勤めていた時なので、おそらく10年くらい前ですね。

この時は、外来で診察中に使っていたカルテをいきなり看護士が後ろから取り上げたんですよ。誰かのカルテを探していての行為だったのですが、「ちょっと、すみません」の一言もなければ、立ち去るときの挨拶もない。患者さんの前でしたが、というより患者さんがいるだけに激怒しました。もっとも、そんな論外の非常識人ですから、こちらが怒鳴っても意に介する気配もなく、結局怒鳴り散らした自分だけが騒いでいるみたいな結果になってしまいました。それで、後でかなり落ち込んだのを覚えています。両者の価値観の違いが決定的だということですよね。

目には目を、歯には歯をみたいなことは、価値観が同じ者同士の場合には、結局双方を傷つけるだけです。価値観の違いがある場合には、平行線のままで、怒鳴っても何の解決にもならないわけで、どっちにしても「怒った方が負け」みたいなところがあるんじゃないでしょうか。

ここ何年かで「切れる」という言葉が定着しましたが、それ相応のことがあって怒鳴るのとは違い、通常どうということもないような事柄に対して怒りを露わにすることを意味しています。たいていは自分の好き嫌いというようなところがきっかけにあるわけで、周囲の状況の中で自分をコントロールできないということでしょう。そこにあるのは自分の価値観だけで、それでは社会生活を送るようになったヒトではなく、ただの野生動物と同じということになってしまいます。

というわけで、長い前書きになってしまいましたが、今週は自分としては珍しくテレビドラマをけっこう見てしまったのです。その一つが「斉藤さん(日本テレビ)」。社会のルールを守ることを重んじ、悪いことは悪いと公言してはばからない斉藤さんの話。

面白いのは、ふつうの長いものには巻かれるタイプの主婦が狂言回しになっていて、そこへ斉藤さんがからんでくるという設定です。斉藤さんを中心に話が進むと、絶えず怒鳴り散らしている場面ばかりになってしまいそうですから、これはなかなかいい設定ではないでしょうか。社会のルールをうまく利用したり、あるいは回避したりする小市民的な部分は誰にでもあるわけで(自分も少なからず小市民ですが・・・)、そういう部分を目立たせておろおろしている主婦=自分という視点から、時々出てくる斉藤さんの物怖じしないパワーをどう見るか? うらやましいと思うか、うっとうしいと思うか、気がつかなかった自分の正体をはっきりと自覚できるかもしれません。

もっとも世の中のすべてのヒトが斉藤さんになったら・・・・何の問題もありません。整然と秩序の守られた社会となるでしょう。ただ、本来はお互いに「斉藤さん」のことはわかっていて、うまく融通をつけながら、社会生活をしていくことが思いやりにもつながるのではないかと思います。つまり、斉藤さんは本来表には出てきてはいけない、出てこないでいい社会が望まれるのかな、と思います。

明日のニュースは毎年恒例になってきた「荒れる新成人」となることだと思いますが、彼らは「斉藤さん」をどう見るのでしょうか。

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2008年1月13日日曜日

Disease is made by doctor

本日のあざみ野棒屋先生のブログで、製薬会社が薬を売るために「病気」を作っているかもという話題が盛り込まれていました。ちょっと、以前より感じていたことにピピっとアンテナ3本立っちゃったので、拡大版コメントととして書いておきます。これは、あくまでも私論ですし、何らかの根拠があるわけではありませんので、そのつもりでお読みください。

病気というのは、健康の対義語であり、「健康ではない状態」であると総論的には定義できますが、西洋医学では臓器別に原因と結果から、細かく分類整理した疾病という単位があるわけです。この疾病には、すでに知られていた(previous konwn)症状から振り分けられた既知病あるいは古典的病気とよべるものがあります。

歴史的には医学の父とされるヒポクラテスやガレヌスらによって体系づけられ、ルネッサンス期に現代の解剖学(正しい人の体の仕組み)の完成によって枠組みが明確になったものといえるかもしれません。

しかし、まだ正体がわかっていない疾病はいくらでも残っているわけです。それらが正体を現すには医学のさらなる進歩、技術革新が必要でした。つまり明らかに病気であることはわかっているけど、まだなんだかわからないが、潜在している(latency)と考えられているものです。

関節リウマチという病気も、実際にはヒポクラテスがそもそも言葉として使ったことが最初でしたが、関節の痛みを伴う状態をすべて混ぜて使われていて、疾病としてしっかりと独立したのは20世紀になってからのことです。このような潜在病と呼べるものは、正体が判明して、しだいに既知病へ組み込まれていくわけです。

遺伝子病のようなものは、その最たるものでしょう。やはり20世紀になって遺伝子の本体がDr.Watson(Windowsの監視ソフトではありませんよ)によってDNAの二重らせん構造であることが解明されて以来(1953年)、病気そのものは言うに及ばす、ヒトの成り立ちまでも一気に解明され、医学は過去2000年の歴史の中で最大の急展開を見せいてます。

さて、もう一つ別のグループがあります。医者が作っている疾病です。医者は病気を治すことが仕事なのに、病気を作っているというのはどういうことと思われるでしょうが、これは事実存在しています。この中には2つのグループがあると思います。

最初のグループは、いわゆる副作用のようなもの。治療をしていく過程で、偶然おこってしまう問題によって健康が損なわれるもので、通常、医原性(idiopathic)疾患と言われています。これは望んでいる者は、医者にも患者さんにもいません。しかし、一定の確率で起こることは必然であり、100%避けることは不可能です。これらをすべて「薬害」というくくりに入れてしまったら、医療は完全に崩壊します。

医原的に起こるものでも、本来の治療効果の方が圧倒的に優るのであれば、それなりの対策をとりつつ受け入れることができます。消炎鎮痛剤、いわゆる痛み止めの薬による消化管潰瘍、関節リウマチ薬による内蔵障害、あるいは人工関節置換術後の脱臼・破損のようなものが(整形外科領域では)あります。しかし、副作用のための治療の上乗せばかりが行われると、いわゆる「薬漬け診療」のような状態を引き起こすわけですから、医者は極力排除する努力を怠ってはいけません。

さてもう一つのグループはやっかいです。今まで、誰もそれが病気とは思っていなかったのに、急に病気として扱われるようになっったものがありますよね。これはマスメディアの進歩が大いに関係していると思うのですが、自分は健康だと思っていたのに、実はあなたのそういうところは実は病気なんだよ、みたいなキャンペーン。

ここには、一部の製薬会社の意図があることは想像できますが、それだけでは病気として確立はできないでしょう。そのような元は、医者が作っているわけで、ある時は営利目的であったり、売名行為であったりするわけです。最先端の研究には多大な費用がかかり、スポンサーとしての製薬会社は「必要悪」であるからには、切ることができない関係があることは否定できません。資本主義の中では、製薬会社には莫大な投資を回収する義務があります。

そのような一定の企図(planed)のもとに作られた病気があることはまちがいありません。また、医療費抑制が続くなか先細りの医療業界では、新たな商品(病気)が必要とされているということも事実だと思います。ED治療というのも、生物としての「種の保存」という根本的に生存理由を主として考えるのなら、立派な病気の治療といえるでしょうが、現実には快楽的な目的がほとんどである(棒屋先生、どうですか?)としたら、どうなんでしょうか。

実際、保険診療という日本独特の枠組みがどんどん縮小させられている中で、病気が増えないことには商売にならないと考えている人は大勢いるわけです。Dr.Mはご自分のこのジャンルについては施術と呼んで病気とは明確に分けているわけですが、中には病気としての扱いをすることで正当化している人たちもいると思うんですよね。

また、あえて非難を恐れずに言うなら、「病気になりたい」人たちも存在していて、作られた病気を簡単に、かつ積極的に受け入れるグループがあるとも思います。さらに「弱者を批判できない風潮」があって拍車がかけているような気がします。特に明確な科学的な話のしにくい精神疾患系には、このような新たな「病気」がどんどん出てくるような印象があります。

肝炎問題は、本来前者の医原的な問題であり、医者も患者さんも望んでいないのに、知らないうちに偶発的に生まれたはずのものです。自分も大学でそんなことが起こるかもしれないとは思わずに輸血をずいぶんしています。しかし、問題が一部の人たちの中で確認されたところから後者の企図疾患へと変貌したわけで、このようなものは通常の副作用とは別次元の「薬害」と呼べるものであると思います。

ずいぶん過激な意見を書いたように思いますが、まちがった認識もあるかもしれませんが、いつも漠然と思っていることを書きとめておいて、今後熟考するための材料としたいと思いますので、あえて掲載してみました。

Disease
(I) Previous known disease
(II) Latency disease
(III) Produced disease
a. idiopathic disease
b. planed disease
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2008年1月12日土曜日

赤べぇ見参!!

今日は鍋。なんでかというと、明日は休みだから。当直なしい(月曜日だす・・・シクシク)。冬は温かくて、簡単で、野菜を一杯食べれるので、大活躍の鍋料理なのであります。

本日の味は、この前からスーパーで気になっていたうまみそ鍋つゆ「赤べえ(ミツカン)」でいってみよう。想像している味は赤味噌の和風スープなんですけど、赤さからして多少の辛さは欲しいところ。

実際の宣伝文句は、豆味噌(赤味噌)と米味噌を名古屋コーチン鶏がらスープに溶き、韓国産唐辛子と、ニンニクを加えて仕上げた、甘くて、旨くて、ピリッと辛いうまみそ鍋つゆとなっています。 お勧めの具材は一般的です。白菜、豆腐、豚肉、しめじ、にらなどなど。それだけでは、うちのものは満足するわけもなく、せり、水菜、葛きり、油揚げ、えのきなどを投入しました。

うーん、これは旨い。確かに赤いスープなのです。ちょっと甘めのなかにぴりっとした上品な辛さが隠されていて、さすがに鶏がらべースの味噌仕立て。坦々みそ鍋とは違った、もう一つの味噌味の傑作かもしれません。

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2008年1月11日金曜日

亜沙郎がお勧めする豆子郎

豆子郎、と書いて「とうしろう」と読むのは、このあたりでは常識の一つ・・・だと思います。当然、ご存知の和菓子なわけです。

戦後すぐのころに山口県で誕生したういろうに似たお菓子ですが、独特の歯ざわりの食感がなかなかすぐれものです。関東ではあざみ野にだけお店があるわけで、自分も開業するときの挨拶回りでも、いくつか購入して配りました。

うちのこどもたちも、なんと大好きなのです。先日、久しぶりにいただきまして、うちに持って帰ると、「うぉー、とうしろうだぁ~!!」で飛ぶように食べつくされてしまったのです。連中は、コンビニであんこ系の和菓子をわざわざ買ってくる連中なのです。

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2008年1月10日木曜日

私をスキーに連れてって

自分が卒業した東海大学は総合学園ですから、全国各地にいろいろな学部・学科は言うに及ばず。高校・中学などが散らばっているわけです。冬のシーズンに整形外科医の楽しみのひとつは、体育課外授業のスキー教室の付添医の依頼なのです。じゃんけん抽選でこれを射止めると狂喜乱舞なのであります。なぜなら・・・・だって1週間くらい仕事しなくていい。当直ない。スキーできる。しかも、出張扱いで日当まで出る。すごいじゃないですか。

何故かラッキーなことに東海大学に在籍していた15年間で、自分は3回も行っちゃったんですよね。2回は短大の体育授業で野沢温泉でした。これは、スキーバスで学生みんなと一緒に出かけます。「私をスキーに連れてって」が流行ったころでした。

教室の最後にバッチ検定というのがありました。ちゃんと日本スキー連盟の検定員の方が来て、実力により級をくれるのですが、「先生もせっかく来たんだから検定を受けなさい」と担当の先生にいわれました。そのころはパラレルはまだ自信がなかったので、3級は難しいかな、と思ったので
「じゃ、4級を受けます」と返事をしました。
「そんなことを言わずに3級を受けなさいよ」
「いや、自信がありませんので、4級でいいです」
「3級を受けなさいって」
「4級でいいです」
こっちもだんだん意地になってきました。まぁ、しょうがないということになって、最終日。いよいよ検定です。

「じゃ、4級の検定を始めます。集まってください」と呼ばれて行ってみると、なんと4級を受けるのは自分を含めて3人だけ。ほとんどの人は3級以上を受けていたのです。なんとなく恥ずかしいじゃないですか。じゃまず見本をやります、という検定員の先生はすーっと滑っていきます。おっと、待ってくれ!! そんな先に行っちゃ困るじゃないか、と思った3人の受験生は、先生の後を追っかけていきます。先で止まった先生、振り返ると受験生が後ろを一緒に滑ってくるのに気がついてびっくり。「付いてこいとは言っていないでしょ!! ちゃんと、見てて合図してから順番に滑ってきてよ!!」

そんな事があって、後で宿に戻って結果発表。ほとんどの3級受験者はみんな合格。いよいよ4級の番です。
「4級は3名とも合格です。ではバッチを渡します。これは貴重ですから、失くさないようにしてください」
「そんなに高価なもんなんですか?」
「いえ、4級のバッチなんて持っている人は、たぶんこの3人くらいだからです」
道理でしつこく3級受験を勧められたわけだ・・・・。

次に野沢温泉に行った時は、学会の発表の間際で、パソコンとプリンターを持って行って(当時はけっこうな大荷物でしたね)、原稿を作っては印刷して宿から上の先生にFAXを送る。返事が返ってくると、またいろいろい手直しを繰り返し、とてもゲレンデに出る暇がありませんでした。今ならインターネットでらーくらくなのに。時代はいっきに進んだもんです。

3度目は付属高校の付添。これは単独で浅間山の北側の宿まで来いということで、自分の車で行きました。当時はマツダの初代MPVに乗っていて、これがチェーンやスタッドレスを使わなくても車体が重いためそこそこに雪道が走れてしまうという車なんです。楽しく1週間を過ごし、さぁ帰るよということになりまして、なんと先生・生徒さんみんなで見送りです。そんなことしなくていいのに。

「ありがとうございましたぁ~、気をつけてぇ~」という声を背に受けてエンジンスタート。宿舎の前の緩やかな下り坂のカーブへ進みます・・・って、げげ!! 止まらない!! 滑ってる。ぐえ~ハンドル効かないし・・・ずるずるずりずり・・・・皆が見てるし・・・ハハハっ笑うしかないっす・・・・路肩の雪に突っ込んで止まり、あっちに突っ込み、やっと下の道路に出て、雪がどけてあるところで一安心。

なんて、いろいろ楽しい思い出を思い出してしまいました。というのも、患者さんで今スキー教室に行っている人がいるんですよね。一人は生徒さん。もう一人は先生。どちらも同じ学校なので、きっと一緒の教室だと思いますが、怪我をしないように帰ってきてくださいね。

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2008年1月9日水曜日

かにかにかにか part2

たらばがに君はKingclubと言われていていますが、鱈の漁場で捕れるので「鱈場蟹」というそうです。実際はヤドカリの仲間。

甲羅の真ん中にとげが6本あるのが目印なのですが、けっこう市場にはとげ4本のアブラガニが出回っていて、脚だけになってしまうと見分けはほとんど無理といわれています。札幌のお土産に買おうとしたら、お店の人に脚だけのはほとんどアブラガニだから気をつけな、といわれたことがあります。でも、味はほとんどかわらないといわれていますので、どっちでもいいじゃないか、と思ってしまうわけです。

それにしても、脚の部分には、ちゃんといろいろな名前がついているんですね。爪は1尾から一つしかとれない貴重品です。甲羅に近い部分が肩肉、続いて棒肉、ラッキョ、ナンバンとなりそれぞれの間に節肉がはさまっているんですね。

昔も今も高級食材の代名詞の一つであることに違いはありません。こどもの頃はカニ缶とえばタラバガニ、カニ缶を食べるのは最高の幸せと思っていました。カニピラフなんてものは泣いて喜ぶメニューだったと思います。今はボイルした冷凍物が脚4本セットで2000円~3000円でスーパーで手に入ります。生のままの冷凍は倍くらいの値段がしますよね。

甲羅に近い側は肉が長くてしっかりしているので、やはりそのまま食べるのが一番ですよね。弾力があって甘みな肉は最高です。端っこはスープやチャーハンなどの調理向け。本日は昨日の残りでカニチャーハン・レタス入りにしました。大皿にもって写真を撮る前に、がぁーっとたかられてしまい、気がついた時は半分以上が消えていました。

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2008年1月8日火曜日

かにかにかにか

今年初の夕食ネタです。と、いうのも、新年になって、まだ家で2日しか寝ていない・・・って、ほんまかいな。夕食を食べる機会がないので、食べ物ネタにならないわけです。

いきなり豪華ですよ。見ての通り、蟹です。たらばです。2kg分あります。アラスカ産のボイルもの。準備は簡単で、ほとんど手間がかかりません。机をいっきに片付けて、新聞紙をとばーっとひいて、蟹をざーっとおいて、ばりばり食べます。これが小樽式です(と、勝手に決めている)。

味は、原則としてそのまんま。飽きた時のためにユズポンだけ用意をしました。いっせいのせっ!! おっと社長がいきなり大きなところをくわえた。こちらは爪を割り出した。旨い!! 美味しい!! 食卓は歓喜の渦。

しかし、意外なことにスピードが落ちてきたぁ。どうした。味が単調か? タラバは肉がしっかりしていて、けっこう腹にたまるせいか? でも、それでいいんです。500gくらいを残して、ごちそう様。残りはカニチャーハンにしますから、また明日楽しむんです。

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2008年1月7日月曜日

七草粥

日本には春夏秋冬、四季というものがあって、いろいろな風物詩が楽しめるところがいいですね。そういうところから感性が培われるわけで、特に年末から年始は矢継ぎ早にイベントがありますね。

1月7日は七草粥を食べるというのは、日本人だなぁ、と思うところの一つです。芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔。この中で、ふだんスーパーで手に入るものと言えばセリとカブと大根くらいですよね。

しかし、ちゃんと全部そろっているパックがちゃんと用意されているので、心配ありません。今年もお世話になりました。なずなは今で言うぺんぺん草のこと。そう聞くと食欲が下がる感じがしますが、一年に一度は食べてみてもいいですね。

今日は近くの老健では、玄関前のホールで一斉に七草粥の食事会をしていました。これが終わると、鏡開きやどんと焼きがあって、いよいよ正月ムードは御終いになります。

連日、手抜きで申し訳ありませんが、今日も電子カルテパソコンの入れ替え作業が夜の10時過ぎまでかかったので、短めでお許しを。

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2008年1月6日日曜日

初詣

今日はもう寝ようと思ったのですが、ちょっとさとちんさんのブログをのぞいたら、初詣の話。おっと、このネタ忘れていた。社長と長男は元旦に、足柄の道了尊(大雄山最乗寺)まで行きました。毎年恒例になっています。クリニックのお札とかも貰ってきましたが、自分はまだ初詣をしてないんですよね。実は今日当直明けに、すぐのところの神社に初詣しに寄ったんですよね。それが、さとちんさんと同じ日枝神社なんですよ。だいぶ小さいこじんまりとしたもんですけど、日枝さんに変わりはありませんから。当然屋台なんかは出ていませんけど。

今日はさすがに

疲れている・・・やっぱり、年をとって無理が効きにくくなっているかも。そもそも、第5の土日は当直なんですけど、そうそうあるわけじゃないので、すっかり忘れていた、12月に第5土日があることを。それで、ハイハイ当直しますなんてことになって、いざ当直表を見てびっくり。この1週間で5夜勤・3日勤。さすがに、ふぅ~・・・という感じです。

今日は明けで、レセプトと呼んでいる月に一回の診療報酬の請求書チェックをするためクリニックへ直行。これが収入に通じる最も大事なイベントなんですが、昼から頭が痛くてどうも効率が悪い。久しぶりにバファリンのお世話になりました。バファリンは自分にとっては万能薬なのです。これさえ飲めば、何でも治る(おいおい、医者の言うことかい)。

正月気分は今日で終了、明日からはまた頑張らなければ!! と、いうわけで今日は短くてすみません。もう寝かせていただきます。

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2008年1月5日土曜日

Goodbye WindowsVista

年末に電子カルテのコンピュータがいろいろ問題を起こした話はすでに書きましたが、もともと2006年11月に最初の電子カルテパソコンが壊れたため、4台+バックアップ1台の5台で稼動していたのが、バックアップ無しの4台という状況が続いていたのです。これは次に何かが起きたとき、セルフカバーが利かないという危険な状態でした。また、一部の部署でカルテの閲覧ができないということでした。患者さんが少ないうちはよかったのですが、増えてくるとやはり不便なものです。

今回サーバーとして使っていた大元が壊れたことで、パソコンの新規購入を余儀なくされたわけですが、どうせならバックアップも復活させたい。そうすれば、次のトラブル時に最短の時間で復旧させることができるわけです。

汎用に利用し当直でも持ち出していたノートパソコンは液晶がへたってしまい、使い物になりません。そこで、院長のメールなどのやり取りに使っていたデスクトップがバックアップ用となり、インターネットに常時接続という形が取れなくなるため、中古のノートパソコンを別途購入しました。さて、これが2007年春モデルのSONY VAIO君なのですが、なんとOSがWindowsVistaなのです。

WindowsVistaは以前に自宅でβ版インストールしてみて、見た目のかっこよさは認めるもののあまり機能的な新しさを感じなかったため、製品版は使用経験がありません。実際に使用してみての感想は・・・あまりにひどい。とにかく重過ぎて、一気に10年戻った感じです。何をするにも鈍重な動きで、インターネットでのWWWの閲覧でさえままなりません。ましてPhotoshopなんてもってのほか。

エクスプローラを使用してのファイル操作でさえ、いちいち「誰かがファイルをいじろうとしているよ」というメッセージがちょこちよこ出てくるし(誰かって自分でやってんだよ、文句あんのかといいたい気分)、ウィンドウの枠が半透明だからってどんなに便利だというのさ。RAMを1Gから2Gに増設して、いろいろなかっこいい効果をOFFにしてもほとんど変わりありません。

そこで、自称パソコンマニアとしては、何とかするには・・・・WindwosXPにdowngradeするしかないという結論に早くも達したのであります。購入してから、わずか数日、触りだしてから実質10数時間での決断なのです。さようならWindowsVista。もう君とは逢うことはないかもしれないよ。短い付き合いだったけど、後悔はしていないよ。だって、XPで十分に何でもできるんだからね。

さて決断したのはいいけど、どうやろう。今までの経験からSONYは、独自の機能拡張をけっこう入れているので、専用のドライバなどが必要なことが多いんですよね。upgradeで上位互換ということはしばしばあるけど、downgradeというのはあまり経験がありません。早速インターネットで検索。おー、さすがに同じことを考えている人がいるものだ。ふむふむ、ヨーロッパのSONYでは公式にdowngradeをサポートしているとな。そこにXP用のファイルがいろいろあるらしい。でもすべてが動くわけではないと。でも、ビデオカメラは使わないし、オーディオ関係のスイッチも動かなくていい、ワンセグテレビはできれば見れるにこしたことはない。LANとWirelessLANとUSBとDVD driveが動けば困らないもん。

というわけで、早速実行。意外とエラーとかも出ずにdowngrade完了。テレビは見れそうだけど、元々自宅では受信できないのでよくわからない。そのほかもデバイスエラー表示をすべて出ないようにするところまではできました。でもって、使い心地は? って、悪いわけないでしょう。これがサクサク動くっていうんだよ!! と叫びたくなります。もともと非力なマシンなんでしょうけど、ふだん使っているPentium4と比べて遜色はありません。

そんなこんなで、この12月なかばから今日まで、ほとんど生産的な仕事にパソコンが使えなかった言い訳にかえて、お伝えいたしました。

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2008年1月4日金曜日

介護保険も崩壊の危機

介護保険の成り立ちは、必ずしも幸せに満ちていたものではなかったのです。高齢化社会を迎え肥大化する医療費を抑制するために政府が打ち出した秘策であり、実質的には医療を分割して見た目の医療費を減らして自己満足に浸っているだけ、というと言いすぎでしょうか。

実際の方法論の詰めがないままにスタートしたのが1999年。混乱の中で「バリアフリー」という言葉だけが独り歩きして、なんでも楽ちん生活が推し進められた結果、お年寄りはさらに弱体化してしまったというのは事実。アンチテーゼとして「バリアフル・ハウス」というものが発表されたりしています。さらに悪質業者がはびこり、お年寄りにいろいろなグッズを売りつけたり、無理やり自宅改造したりとやりたい放題。

当然の結果として、介護保険が今度は抑制の対象となり、ランクの見直しにより介護が受けられないお年寄りを増やしているのです。さらにグッドウィル・グループに見られるような在宅事業者の不正も発覚してきて、現場で働くものの混乱はさらに深まっているのです。

医療と介護が分離したことにより、本来は切っても切れない関係にある両者が混在することは大変難しくなっています。介護保険のもとにある老人施設は、医療が必要になっても入所者に医療保険が使われた場合、そのほとんどの負担を負わなければなりません。持ち出しになれば経営に大きく影響するため、必然的に極力医療の提供に憶病になり、積極的な治療は行われなくなりました。

本当なら、こうすればもっと健康的な生活が送れるだろうお年寄りが、施設で何もされずに寝たきりになっているケースも珍しくないのです。デイサービスだけを提供する事業所もいろいろありますが、人員不足から利用者が健康的な問題をかかえていても、知らぬふりをするようなところも実際に存在しています。

都筑区では医療機関の急増と同時に、老人施設の建設ラッシュでもあります。これらの新たな施設は、当然スタッフの奪い合いとなり、十分な人員の確保ができるのか心配です。それにもまして、利用者が医療を必要とした時に確実に連携をとれる医療機関を確保した上で計画されているのでしょうか。医療機関が母体になっている施設以外では、そのあたりについてはほとんど出たとこ勝負というのが現実ではないでしょうか。

救急医療の現場だけでなく、施設の高齢者救急のタライ回しも実際に起こっています。すべての介護保険関連がだめだというつもりはありませんが、「健康寿命の延長」ではなく「医療費抑制」が前提にある今の制度は「医療崩壊」とともに、もっと議論を重ねられるべきだと、将来の利用者たる自分は思ってしまうのです。

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2008年1月3日木曜日

ハバラとアキバ

この2つの言葉の差は大きい(いや、大きいと思いたい。大きな差があって欲しい)、と思っているのは自分だけでは無いはずだ。あざみ野棒屋先生は広島の地で遠く東京の秋葉原に憧れていた少年であったことを告白しているが、その憧れの地秋葉原の通り名が自分の場合はハバラなのである。

自分は中学から高校の時にアマチュア無線の部活をしていた。しかし、「CQ、CQ、こちらJA1×××・・・」ということはいっさいやっていない。じゃあ、何をしていたのかというと、ひたすらハバラに通い、トランジスタ、コンデンサー、抵抗などを買ってきては理科室で基盤に回路を書いては塩化第二鉄溶液で余分な銅を溶かす。そこへ1mmのドリルで穴を開けたら、各電子部品をハンダ付けしていくわけである。愛読書は「トランジスタ技術」という点は棒屋先生と一緒なのだ。

以前にも書いたと思うが、同級生にブレーンがいて、主として彼が回路を設計する。自分たちは兵隊となって肉体労働をこなすのである。それで、できた物は・・・例えばシンセサイザー。今でこそちっぽけに集積回路にどーんっと詰め込まれ、中国製の縁日の安物のおもちゃにも搭載されているが、当時はKeith Emersonや富田勲で有名になったmoog synthesizerしかない頃で、6畳くらいのスペースにいっぱいの機械が必要で何百万という超近代楽器なのだ。なんとか2音の和音が出せる程度のものが出来上がった。

それから、コンピュータ。といっても1ずつ足し算していく、いわゆるカウンター程度のものだったが、それでも10cm×20cm程度の基盤が数百枚必要だった。当時ICと呼ばれる集積回路が出始めたころだったが、我々のようなこどもが使える値段ではなかったので、ひたすらトランジスタで組んでいったのである。これらに必要な部品は秋葉原で何でも揃った。

ラジオデパートとかラジオ会館という長屋みたいな狭苦しい壱間間口の店が並んでいるところで、掘り出し物を求めて歩き回るのである。当時はLAOXはまだ朝日無線とい名前だったっけ。ちょっと高いオーディオ製品を買う時は、こっちで値段交渉。隣に行って「隣ならいくらにするよ、と言っているけど・・・」ともちかける。また戻って・・・を繰り返す。そして最後に「帰りの電車賃だけまけて」と泣き落としにかかるのが礼儀なのだ。

ところが最近はアキバというのが普通であり、それはまさにオタクの聖地としての呼び名になっているわけだ。どうもこれはバブル崩壊によって、秋葉原のような高額電化製品でなりたっている街は崩壊の危機に瀕したことに端を発するようである。パソコンの普及が救世主となり、いわゆるパソコン通信という匿名文化が発生し、インターネットが拍車をかけた。アニメを中心としたマルチメディア文化の花が咲き、そしてメイド喫茶の楽園になったのだ。このあたりの街の歴史はホームページに詳しいので、興味のある方は是非一読をお勧めする。

ハバラはアキバへ進化したのではなく、アキバに飲み込まれてしまったのである。

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2008年1月2日水曜日

ドラゴンボールと私

実は本来、なんの接点も無いのである。作者の鳥山明といえば、自分にとっては「Dr.SLUMPアラレちゃん」の作者であって、それ以上でもそれ以下でもなかったのです。

一部のゲームフリークにとっては「クロノ」シリーズや「ドラクエ」シリーズでお世話になったのでしょうが、80年代と90年代なかばまでを一心不乱に医学生から研修医時代をすごした身としては、知る由もありません。

世の中にドラゴンボールが人気があったということは知っていましたが、時々年始のアニメ映画特集で見る程度でした。実際に手に取ることになったのは2002年12月に「ドラゴンボール完全版」の刊行が始まったときです。当時小学校の3年生だった次男が読みたがりそうだと思い買い始めました。

自分がこどもの頃に買った漫画はたいてい10冊もあれば大長編という扱いでした。サイボーグ009は確か12冊で途中やめ、巨人の星18冊とかあしたのジョー20冊なんていうのは破格の扱いでした。まぁ、毎月2冊ずつでせいぜい半年くらいで終わりだろうと思って買い始めたら、これが長い。全部で34冊+番外2冊の36冊で、最後が出たのが2004年の4月、あしかけ3年ですよ。最後の配本の時は、さすがに涙を流して完了を祝いました(そんなわけないだろ!!)。

そしたら、完全版の刊行にあわせて、ケーブルテレビで最初から放送されるは、DVDは発売されるは、ゲームソフトは乱発されるはのドラゴンバレードです。次男ははまりまくって、どこが違うのか首を傾げたくなるPS2ソフトを3つとも買って喜んでいました。

最初のコンセプトは四散した大事な7つのドラゴンボールを探しながら格闘家として成長していく男の子、というものでしたが人気上昇によりやめられなくなったのか、だんだん登場人物が増え続け宇宙規模の荒唐無稽なストリートファイターと化した感がありますよね。格闘するためだけにストーリーが進んでいるようで、野菜の英語を覚えるのには役に立っているようではありますが・・・・さぁ、あざみ野棒屋としては、これにどう切り込んできますか?

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