2024年5月17日金曜日

トップガン (1986)

もう、言わずとも知れた、トム・クルーズを一気にスターダムに押し上げた大ヒット映画。当時の最新鋭ジェット戦闘機が飛び交い、淡い恋と若者の野心と挫折、そしてライバルとの戦いの後に成功を収めるという、定石通りのヒット要素が完璧に詰め込まれた映画です。

監督はトニー・スコット。音楽は、多くの人気歌手の曲を用いて、サウンドトラック盤も大ヒットしました。特にテーマ曲にもなったケニー・ロギンスの「Danger Zone」は名曲です。脳外科の先生方のお気に入りだったようで、その頃脳外科用の手術室ではよく映画のサントラがかかっていました。

マーヴェリック(トム・クルーズ)はF-14 トム・キャットのパイロットで、直感的に飛行機を操る技量は天才的でした。そして、相棒のレーダー要員のグース(アンソニー・エドワーズ)と共に、エリート・パイロットが集まる海軍戦闘機兵器学校、通称トップ・ガンに行くことになります。

最大のライバルは自信家のアイスマン(ヴァル・キルマー)で、彼らの教官は史上最高のパイロットと称されるヴァイパー中佐(トム・スケリット)です。歓迎パーティでマーヴェリックはチャーリー(ケリー・マクギリス)に一目惚れしますが、軽くいなされてしまいます。

翌朝の講義に登場した講師は、なんとチャーリーでした。チャーリーは民間人ですが、ミグ戦闘機の専門家でした。そして教官ジェスターを相手にして実践訓練が始まりますが、ルールを無視するマーヴェリックの飛行に対して、ヴァイパーは厳しく叱責するのでした。

チャーリーとの仲が進展する中、アイスマンと成績争いをするマーヴェリックは、編隊飛行でも独断専行し問題児でした。ある日の訓練で、アイスマンのジェット後気流に巻き込まれたマーヴェリックは操縦不能に陥り、緊急脱出の際にグースが死亡するのです。

自身を無くし、すべてを放棄しそうなマーヴェリックでしたが、ヴァイパーらの励ましで何とかトップ・ガン卒業式に出席します。そんな彼らに、インド洋上での緊急出動の命令が下ります。アイスマンらが先に出動しますが、待機にまわったマーヴェリックにも援護の出動が命令されるのでした。

何しろアメリカ海軍の全面協力のもと行われた実機による空中戦などのシーンは見もの。爆破は模型を使っていますが、トム・クルーズは実際に戦闘機に乗っての撮影だったそうです。しかし、撮影中にスタントパイロットが一人亡くなったというのも、撮影が危険であったことを物語ります。

ある程度、軍隊がらみの青春ものとしてはステレオタイプであったせいか、公開時に目立った賞は受賞していませんが、トム・クルーズ人気と共に不動の名作として評価されるようになりました。

2024年5月16日木曜日

セブンのおにぎり 37


ちょっと久しぶりのセブンイレブンの新作。

とは言っても、再発売かもしれない。少なくとも、似たようなものはすでに紹介したことがある。

まず、「かにめし おむすび 椎茸・たけのこ入り」ですが、まぁ、カニの味がわかるほどカニが使われているとは思えないわけで・・・実際その通りでした。

米の部分はほぼ上品な炊き込みご飯。カニの味はしないし、風味も感じません。真ん中に具材が入っていて、数mm大のたけのこと椎茸を煮たものがメインで、わずかにほぐしたカニらしきものが混ざっています。

おにぎりとして美味しくないわけではありませんが、「かにめし」と命名するのはあまりにも寂しいところ。まぁ、160円ですから文句を言っちゃいけませんというところ。

「あさりご飯」は、以前にあった「深川飯」の簡易版というところ。あさりの身がそのまま何個か入った炊き込みご飯で、こっちの方がタイトルを想像できる味付です。

セブンイレブンのおにぎりは、どれもそれなりに美味しいのですが、高級食材を使ったような名称がついたものは、あまり期待しないで食べるにこしたことはありません。

2024年5月15日水曜日

パンチェッタを作ってみる


パンチェッタ (Pancetta)は、イタリア語で豚肉のバラ肉のこと。一般には、豚バラを塩漬けにしたものの呼び名として使われ、そのままサラダなどにいれてもいいのですが、実は調味料としても重要な役割を担います。

しばしば、ベーコンと混同されていますが、ベーコンは塩漬けした豚バラを燻製にしてゆっくりと過熱して作ります。パンチェッタは、基本的に加熱はしないので、別物です。

例えばカルボナーラ・ソースを作るとき、ベーコン、生クリーム、卵黄という組み合わせを思い出しますが、イタリア料理としてはバンチェッタを使うのが正しい。生クリームについては、使うものと、使わないレシピがあったりするので、お好みでというところ。

とりあえず、美味しいスバゲッティ・カルボナーラを食べたいと思ったので、パンチェッタから作ってみることにしました。

用意したのは、豚バラ肉 300gです。これに対して、必要な物は塩30g(今回は岩塩)だけなんですが、それでは香りが引き立たないので、スパイスとして黒コショウ少々、ローズマリー少々、セージ少々、タイム少々を用意します。

まず、豚肉をナイフで刺しまくる。穴ぼこだらけにして、塩が浸透しやすくします。そしたら、用意した塩とスパイスを全体にまんべんなくすり込みます。後は、キッチンペーパーにくるんで冷蔵庫で寝かせれば、1週間ほどで完成・・・するはずです。

やることは簡単ですが、うまく完成するかどうか、つづきは出来上がったらご報告します。

2024年5月14日火曜日

華麗なるヒコーキ野郎 (1975)

タイトルからして「素晴らしきヒコーキ野郎」と混同していたんですが、まったくの別物で、こちらは監督ジョージ・ロイ・ヒル、主演ロバート・レッドフォードの正統派良き時代の物語。

それもそのはず。この監督と主演のコンビは、名作の誉れ高い「明日に向かって撃て(1969)」、「スティング(1973)」についで3作目。撮影のロバート・サーティースも名カメラマンでヒル組ともいえる存在です。

舞台は1920年代のアメリカ、ネブラスカ。第一次世界大戦でパイロットだったウォルド・ペッパー(ロバート・レッドフォード)は、大空にかける思いを捨てきれず遊覧飛行を商売にしている身でした。

ウォルドにとって最高のパイロットはドイツの撃墜王、エルンスト・ケスラー(ボー・ブルンデン)で、彼は戦争中に一度遭遇した時、先頭不能になった自分に発砲せず敬礼をして去っていった話をことあるごとに話していました。ある日、ウォルドの縄張りに同業のアクセル・オルソン(ボー・スヴェンソン)がやってきて、ペッパーに嫌がらせをしたため、ウォルドはオルソンの飛行機の車輪を外して仕返しをするのでした。

映画館で知り合ったメアリー・ベス(スーザン・サランドン)と食事をしてケスラーと戦ったことを話していると、そこに松葉杖をついたオルソンがやってきます。オルソンは、その戦いをにはウォルドがいなかったことを知っていました。

結局、ウォルドはオルソンと協力して曲芸飛行をすることになり、興行師ディルホーファーに雇われ、次第に過激なスタントを求められたことで、メアリーを翼に乗せることにしました。しかし、恐怖で動けなくなったメアリーは墜落死してしまう。

オルソンはパイロットを辞め、映画業界に入り成功します。パイロットを諦められないウォルドは、飛行免許を剝奪されてしまい、オルソンの世話でスタントマンになるのです。ちょうどハリウッドではケスラーを題材にした映画が製作されていて、オルソンとウォルドは顧問として参加していたケスラー本人と会うことができました。

お互いに飛行機乗りとして捨てることができない夢とプライドを理解しあった二人は、一騎打ちのシーンの撮影に臨み、脚本を無視して本当にドッグファイトを始めるのでした。本物の銃は装備されていないので、接近しての体当たりを繰り返し、ついにケスラーは操縦不能になってしまいます。ウォルドは近づいて並んだところで、お互いに敬礼をして両者とも雲の中に消えていくのでした。

70年代のアメリカ映画らしい、まだ多くの夢を見ていた男たちのドラマ。レッドフォードも脂がのっていた時期ですから、実にさわやかな後味の余韻を残す秀作。主人公のウォルドは、この後「紅の豚」のポルコ・ロッソになった・・・わけはないんですけど、キャラクターとしては通じるところがあるように思います。

空中戦なども、今のCGてんこ盛りの物と違い実機を使っての撮影ですから、迫力がある。ただ、かつての名作に比べると、やや共演者が弱い。スーザン・サランドンも途中でスクリーンから消えてしまい、最後まで絡ませると面白かったかもしれません。ウォルドの妹役で、「スーパーマン」で名が知られるようになったマーゴット・キダーがちょっと顔を出しています。

2024年5月13日月曜日

素晴らしきヒコーキ野郎 (1965)

古い・・・と言ってよいイギリス映画。原題は「Thoes Magnificent Men in  Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in 25 Hours 11 Minutes (自らの飛行機に乗ったあの偉大な男たち またはどうやってロンドンからパリまで25時間11分で飛行した)」と長い。

「史上最大の作戦(1962)」や「バルジ大作戦(1965)」のような戦争大作で有名なケン・アナキン監督が、自ら脚本も書いたオール・スター・キャストのコメディ大作です。

あらすじはいたって単純。時は1910年。飛行機の黎明期で、マニアが各自いろいろな形の飛行機を好き勝手に飛ばしていました。高度はせいぜい数10メートルで、速度も数10km/hですから、飛行距離もたいしたことはない。墜落しても、めったなことでは死人は出ないというのんびりした感じ。

新聞社を経営するローズリー卿(ロバート・モーレイ)は、娘のパトリシア(サラ・マイルズ)の恋人、近衛兵で飛行機乗りのリチャード・メイズ(ジェームズ・フォックス)の提案を受けてロンドンからドーバー海峡を渡ってパリまでの飛行機レースを開催することにします。

世界中から賞金目当てに我こそはというチャレンジャーが、それぞれの趣向を凝らした飛行機と共に集まってきます。オービル・ニュートン(スチュアート・ホイットマン)は、ずけずけとした態度のアメリカ人。イタリアのポンティチェリ伯爵(アルベルト・ソルディ)は、愛妻家でたくさんのこどもの父親。

フランス人のピエール・デュボア(ジャン・ピエール・カッセル)は、女性にはすぐに手を出して甘い言葉で誘惑ばかりしている。ドイツ軍人のホルスタイン大佐(ゲルト・フレーベ)は、何事もマニュアル通りにきっちりと行動しないと気がすまない。

そして、我が日本からもヤマモトという威勢の良い若者が参加しています。なんと、ヤマモトを演じているのは海外映画初出演となった石原裕次郎です。初登場シーンの場面は設定は日本らしく、ほんの少し肉声が聞けますが、あとは全部英語に吹き替えられていました。

そして、この映画の悪役はパーシー卿(テリー・トーマス)で、ライバルを潰すべく毒を盛ったり、飛行機に仕掛けをしたりとやりたい放題。おかけでヤマモトは離陸と同時に墜落して、早々にスクリーンから退場してしまいます。

夜間飛行は危険なので、出場者は海峡沿いの街で一泊するのですが、パーシー卿は船に飛行機を載せて夜のうちに海峡を渡ってしまうというインチキを平然としてしまう。しかし、結局は蒸気機関車の上に着陸してしまい、飛行機が壊れてリタイアしてしまいました。

パリまでたどり着いたのはオービル、メイズ、ポンティチェリ、そしてデュボアの4人。ゴール直前でポンティチェリの機体が火を吹いてオービルが助けているうちにメイズが一等でコールします。しかし、メイズはオービルの行為を称え勝負は引き分けだというのでした。

主役はオービル、メイズ、そして両者から思いを寄せられるパトリシアということ。ではありますが、登場人物が多く、それぞれにさかれる時間がけっこうあるので、全体的には間延びした展開で、だいぶ退屈な映画になっているといえそうです。石原裕次郎が出ていなければ、あまり興味をそそられるところはありません。

実は、これ小学生の時に劇場で見ています。内容はほとんど印象には残っていないのですが、裕次郎が出ていたということだけ記憶していました。多分、父親もそれだけの理由で、自分を映画館に連れ出したのだろうと思います。

俳優たちのアップはスクリーン・プロセスでの撮影ですが、遠景ではクラシックな飛行機のスタント飛行も随所にあり、それなりの見応えにはなっていますので、興味がある方は一度は見ても損はしません。

2024年5月12日日曜日

金属鉛筆


鉛筆は文房具の中では基本中の基本。

昔はトンボ鉛筆の緑色の物がスタンダードで、三菱鉛筆の「uni」なら高級、「Hi-uni」ならセレブという感じでした。「鉛筆」と呼んで芯には鉛が使われている・・・と考えがちですが、実際は炭素の結晶(黒鉛)で、金属は含まれていません。

そのうち、シャープペンシル(通称シャーペン)が登場し、鉛筆を「削る」という作業はしなくてもよくなりましたが、鉛筆自体は消えることなく、今でも定番の筆記用具として生き残っています。シャーペンは芯が折れやすく、必ずしもすべての場面で便利とは言い難い。

鉛筆の最大の利点は、消しゴムできれいに消せること。鉛筆は使うほど摩耗して、芯の先端が丸くなりますが、それがかえって微妙な書き味をだせるところが、アナログ的で人の手に馴染むような印象です。ぐるぐると鉛筆削りで削ると早いのですが、ナイフやカッターで削ると「物を作る、整備する」ようなある種の楽しみも感じます。

さて、最新の文具のトレンドの一つに、ずぅ~~~っと書き続けられる鉛筆があります。普通の鉛筆1本では、数十kmの線を書けると言われています。当然何度も削りなおして使うわけで、一回削って一定の太さでかけるのはせいぜい数mというところでしょう。

大手文具メーカー、サンスターが2022年に発売した「メタシル」が有名で、鉛筆の芯そのものである黒鉛を含んだ特殊合金がペン先に使われていて、摩耗が極度な少ないため続けて16kmも書き続けられるというのが売り文句です。ある程度摩耗したら、ペン先だけ交換する仕組みです。

16kmって、どんだけのものか想像しにくい。一般に長編小説と呼ばれるものは十万~数十万字が使われていて、ギネス認定された日本で一番長い完結した小説とされる山岡荘八の「徳川家康」は原稿用紙で約17000枚といわれています。

本などに使われる大きさの文字だと、1文字はせいぜい1cm以内にほとんどが収まりそうなので、百文字で1m、十万文字で1km、16kmということは160万文字、400字詰原稿用紙で4000枚分になる。ということで、メタシルの芯の減らなささは驚異的ということがわかります。

ところが、残念な点は、文字の色が薄いこと。鉛筆の濃さはHとかBで表示されていますが、標準的なHBと比べて、メタシルは2H程度と言われています。書く紙質によって差が出るようですが、けっこう薄いのは、時には致命的。

そこで、Amazonで探すと、メタシル以外にもけっこうたくさんのブランドが見つかります。レヴューなどを参照して、一番濃く書けそうなハイハイ(Hi-High) エターナルペンシルというものを購入してみました。軸が木になっている一番高級感があるもので約800円。安いプラスチック製なら300~500円程度なので、比較的気楽に試せる値段です。

で、書いてみた。書き味はまさに鉛筆。金属で書いているという感触はありません。問題の濃さは、実用レベルだと思います。ただし、普通のHBの鉛筆で書いたものと比べると明らかに薄いことはわかります。

用途や紙を考慮すれば、ダメということはないのですが、もう少し摩耗が早くて構わないので実質HB以上の濃さで書けるものも発売してもらいたいところでしょうか。

2024年5月11日土曜日

PHEVから楽 15 CHGモード


PHEV(プラグイン・ハイブリッド車)は、HEV(ハイブリッド車)よりも多く、そしてBEV(電気自動車)よりは少ない電池を搭載しています。従って、BEVのように電気だけでの航続距離は数百kmとはいきませんが、数十kmはガソリンを使用せずに走ることができます。

ですから、週に1、2回の充電を厭わなければ、日常使いについてはガソリンをまったく使用しない。でも、電欠になってもガソリンでエンジンを動かすことができるので、その安心感は最大のメリットになります。

電気ばかりで走れば、従来から車の性能として重視してきた「燃費」という概念は意味が無くなってしまいます。なにしろガソリンを使わないのですから、燃費は計算不能ということです。

プリウスをはじめ、トヨタのほとんどのPHEVでは走行中のエネルギーの使い方を、3つのモードから選択できるようになっています。デフォルトはEVモードで、充電量が十分あるうちは、できるだけ電気だけで走ることになります。比較的モーターが苦手とする高速域でも、基本的にはエンジンが始動することはありません。

スイッチ一つを操作することで、これがHEVモードに切り替えります。これは、普通のハイブリッドな走行をするモードで、従来通り、低速ではモーターで走り、速くなったり強めにアクセルを踏むとすぐにエンジンがかかるというもの。ただし、電池容量に余裕があるので、通常のHEVに比べるとEV走行の比率が多めの印象です。

HEVモードでは、ガソリンを消費するので燃費が計算できる。プリウスではWLTCモードで26.0km/Lという数字が公表されています。実際に走ってみると、自分の生活圏は坂道が多いので、さすがにこの数字を達成するのは難しく、だいたい20km/L前後というところでしょうか。

それでも、HEVとしては先代までのプリウスに劣るとはいえ、標準的な燃費でガソリン車よりははるかに燃料消費は少なくて済みます。同じ走るなら、少しでもCO2排出量が少ないにこしたことはありせん。

そして、この切替スイッチを長押しすると、3つ目のモードに切り替わります。それがCHGモードで、CHGはチャージの意味。基本的にはエンジンを回し続けて、ひたすら走りながら電池を充電するというモードです。簡単に言えば、昔ながらのガソリン車として走るという状態で、アイドリング時もエンジンは動いています。

つまり、プリウスと同じ形・同じ重さのガソリン車ということになり、この場合燃費はどうなるのでしょうか。同じクラスの自動車と比べて、電池の分だけ車体重量がかなり重くなりますので、燃費はだいたい6~8km/L程度になってしまいます。

これは、より大型のランドクルーザーなんかと同じくらいの数字。さすがに、この数字で走り続けることはあまりに無駄というもので、低下した電池容量を回復させたい場合以外では使用する意味がありません。

実際には、電池容量が80%以上ある場合には、CHGモードには入れないようになっているみたいで、長押ししてもキャンセルされます。しかし、モードが使える場合は、けっこう短時間で充電量が増えていき、急速充電ほどではありませんが、家庭で行う200V・15A充電よりは早いという印象です。

とはいえ、どうしてもEV走行したいという場面以外では、わざわざガソリンを大量に消費するメリットはありません。そもそも、そういう場面は通常の運用ではほぼ想像できない。つまり災害とかの緊急時に、積極的に外部へ電気を供給したい場合の対策といえそうです。

2024年5月10日金曜日

もうじき母の日


もうじき母の日です。

5月の第2日曜日ということに・・・そもそも森永製菓が始めたらしいのですが、日程を決めたのはアメリカを真似したから。

南北戦争が終わった20世紀初頭に、戦争により夫にかわって一家を支えた母親に感謝することから始まったらしい。

まぁ、母の日の由来はどうであれ、母に感謝することは表に出しても出さなくても、ごくごく当たり前のところ。

それに比べて・・・・やっぱり、父の日の存在感は薄いよなぁ。

ジェンダー平等が言われるご時世ですが、父の日ももう少し積極的に扱われてもいいんじゃないかと・・・毎年思うのはひがみですかね。

とりあえず、プレゼントを贈りたい方、今ならまだ日曜日に間に合います。

2024年5月9日木曜日

自宅居酒屋 #84 味噌漬けキャベツ


居酒屋って、とにかく注文から品を出すまで待たせないというのが大事なポイント。そして、飲食店なら当然、美味しい物じゃないとあかん。作り手の側からすれば、客の回転を考えれば、短い時間で作れるにこしたことはない。

これは、しばらく寝かせたいのでちょっと時間がかかりますが、作り置きしておけるので、暇な時間に仕込んでおくのがおすすめ。

まず、味のベースを作ります。ビニール袋に、味噌大さじ2、みりん大さじ1、醤油小さじ1、七味少々、いりごま少々入れて、よく混ざておきます。

珍しく量を書きましたが、そんなに正確でなくてもいいと思います。自分の好みで好きにしちゃってください。

キャベツ1/4玉ほどをザクザクに刻みます。厚みのある芯はある程度取り除いた方が良いかもしれません。

キャベツを先ほどのビニール袋に入れたら、全体に馴染む程度に軽く揉んだら、あとは数時間寝かせておくと出来上がり。

水が出ますので、食べるときは捨てましょう。味が濃いと思ったら、さっと水で洗い流せばたいてい大丈夫です。

やることは簡単なので、一度お試しください。

2024年5月8日水曜日

自宅居酒屋 #83 山椒きゅうり


簡単・早い・旨いがモットーとはいえ、いやいや、これ、きゅうりを切っただけと思われてしまうかもしれませんが、ちゃんと3分で味付けしています。

きゅうりは薄めにスライス・・・早く味がつくように。

切ったきょうりはビニール袋に入れる・・・洗い物を増やさない。

そこへ、あごだしを少々(または白だしでも可)・・・味に深み。

そこへ、醤油を少々・・・塩気は大事。

そして、最後に好きなだけ山椒粉を振りかけて、口を絞って1分間ほどシャカシャカすれば出来上がりです。

何と簡単。何と旨い。これだけでビールいけます。


2024年5月7日火曜日

葉桜


ゴールデン・ウィークも終了し、桜の木も満開から1か月ほど経ちましたが、完全な葉桜になっていて、ピンクから緑のトンネルに様変わりしていました。

ちなみに満開の時はこんな感じ。


だいぶ雰囲気が変わるものです。

毎年、桜の花が満開になるのを楽しみにするわけですが、満開ということは散り始めるということ。終わりの始まりと考えると、ちょっと浮かれてばかりはいられないという気がします。

開花宣言のあと、三分咲きとか五分咲きとかを経て満開になりますが、花が散り始めと同じように、三分葉桜、五分葉桜・・・となり、完全に花が無くなるとただの「葉桜」と呼ばれます。

あとは葉っぱを塩漬けにして食用にするしかありません。

2024年5月6日月曜日

中島みゆき / 歌旅 - コンサート・ツアー2007 (2007)

70年代から現在に至るまでコンスタントに活躍している歌手の中で、唯一無二の独特の世界観を持ち続けているのが中島みゆきだと思います。

フォークソング畑出身というイメージですが、フォークでもなくニューミュージックでもない。洋楽に染まるわけでもなく、むしろ日本人に自然に備わった感性に訴えかけるところは演歌・歌謡曲に近いものがあるのかもしれません。

ほとんどが自身が作詞・作曲しているわけですが、特に詩の内容を深く聞き取りたくなる珍しい歌手です。言葉の一つ一つに「中島節」とも言える、おそらく誰にも書けない独特さがあって、文学としても成立しているように思います。

1975年、当時アマチュアのシンガー・ソング・ライターの登竜門となっていたヤマハ主催の「ポピュラー・ソング・コンテスト(通称ポプコン)」で入賞し、「アザミ嬢のララバイ」でデヴュー。同年秋のポプコンで「時代」でグランプリを受賞しました。

1976年のファースト・アルバム「私の声が聞こえますか」が発売されて以来、オリジナル・アルバムは2023年の「世界が違って見える日」まで44枚にのぼり、衰えを見せない創作意欲には頭が下がる。そのすべてのアルバムをそろえるだけの価値がある歌手なんですが、あまりに多いのでそんなに簡単なことではありません。

とりあえず、20世紀の中島みゆきをまとめて聞けばよいという方には、ベスト盤の「大吟醸(1996)」と「大銀幕(1998)」の2枚のアルバムがおすすめです。初期のヒット曲と話題になったアルバム収録曲によって最低限は抑えられます。

いやいや、シングル発売曲は全部聞きたいというのなら、「Singles」があります。1987年発売の「I」はCD3枚組(40曲)、1994年発売の「II」はCD2枚組(20曲)で、ほぼ重複はありません。CD1枚(14曲)の2002年発売の「Singles 2000」を加えれば20世紀は網羅できます。

21世紀の作品は、2014年の「十二単 Singles 4」(12曲)にまとめられています。その後の作品と、一部の重複はありますが2016年の「前途」(12曲)を加えれば、必要最小限のキャリアがそろうことになります。ただし、繰り返しになりますが、中島みゆきの本当の魅力はアルバム全体であり、ベスト盤はその一部でしかありません。

最小限で良いというなら2020年発売の「ここにいるよ」というCD2枚組、全26曲というのもありますが、聞きたい曲がたくさん抜けてしまう。ただし、この初回限定盤には、「Nobody is Right」のライブ映像が付いてくるのも捨てがたい。

単なるステージ歌手の他に独自の音楽劇を演じる「夜会」シリーズも、中島みゆきの世界観を知るためには重要ですが、これはビジュアルが大事。いくつかはDVDも出ていますが、現在ではブレミア価格になっていて手に入れにくい。

そこでヴィジュアルとしては、3つのコンサート映像が入手しやすい。「中島みゆき"縁会"2012〜3」は比較的ヒット曲中心のライブ、「中島みゆきConcert"一会"2015〜2016」は本人がヒット曲よりも一番伝えたい曲を中心としています。そこで、もう少し古くはなりますが「歌旅 -中島みゆきコンサートツアー2007-」を強くおすすめします。

「歌旅」は、ヒット曲と知られざる名曲のバランスが良く、ライブの楽しさがとても伝わってきます。ただし、このDVDに漏れた数曲が、10年たって「Live Request 歌旅・縁会・一会」の限定盤にDVDとして付属しています。是非、あわせて見て欲しいと思います。

2024年5月5日日曜日

松任谷由実 / 日本の恋と、ユーミンと。 (2012)

松任谷由実は「ニュー・ミュージック」と呼ばれる音楽ジャンルの元祖であり、日本の「歌謡曲」を終わらせ今の「JPOP」の基礎を作った人・・・というのは大袈裟かもしれませんが、あながち間違っていないと思います。

それだけ大きな影響力を持ち、大衆からも絶大な支持を得ているわけですが、(前にも書いたと思いますが)自分としてはあまり好きじゃない。あの声質が生理的にきつい。とは言っても、確かにキャッチャーなメロディが刺さりやすく、誰もが受け入れやすいメロディ・メーカーであると思います。

1972年に荒井由実としてデヴューした頃は、演歌にせよ歌謡曲にせよ、あるいはフォークであっても、コード進行はC、F、G、E、D、Am、Dm、Emなどの比較的単純明快なコードで足りていました。ギターを手にしたばかりの小僧でも、比較的ジャカジャカと合わせやすかった。

ところが、荒井由実の登場で、ギター小僧は初めて「メジャー・セブンス」という本来なら不協和音となるコードに出くわして驚くことになりました。これがニュー・ミュージックの正体だと思っているんですけど、微妙に不協和音を使うことでものすごくムーディになるんです。

音楽好きにはなんか今までと違う雰囲気の音楽だなと注目されていましたが、一般にも知られた最初の曲は、おそらく1975年のTVドラマ主題歌になった「あの日にかえりたい」で、日本の歌でボサノバ調というのが新しかった、これをきっかけに新進女性歌手のトップに躍り出たように思います。

1976年に結婚により松任谷姓に変わり、やや曲作りに重点を置いたこともあってユーミン・ブームは落ち着きます。しかし1979年以降、様々なエンターテインメントを組み込んだ大規模なコンサートを行うようになり、折しもバブル景気と相まって再び人気に火が付いたのは皆さんご承知の通り。

現在までにオリジナル・アルバムは39枚。好きな人はどれにも思い出が詰まっていることでしょうけど、自分のように積極的なファンではないとベスト盤で十分。でも、ベスト盤も最新の「ユーミン万歳! (2022)」までたくさんあるので、なかなかどれをチョイスするか悩むところ。

そこで、2012年発売の「日本の恋と、ユーミンと。」をおすすめしたい。デヴュー40周年記念として、CD3枚組で全46曲が収録され、驚くことに積極的なファンではない自分でもどれもが聞き覚えがあり、最近までの知られた曲がほぼ網羅されているといえます。

また、デヴュー45周年記念として2018年に「ユーミンからの、恋のうた。」が発売されました。こちらは、「日本の恋と、ユーミンと。」に漏れた曲の中から、自身が選曲した45曲がCD3枚に納められています。さすがに自分は初めて聞く曲も多いのですが、これら2つのセットを揃えれば、まぁ何とか困ることはないでしょう。

2024年5月4日土曜日

竹内まりや / Expressions (2008)

「マリア」ではなく「まりや」というのが言いにくかった・・・というのはどうでもいいところですが、70年代後半に登場し、すでに全盛となっていた松任谷由実らの「ニュー・ミュージック」と呼ばれる明るくなったフォークより、さらにポップス調が増した楽曲が多かったのが竹内まりや。

1978年デヴューで、「戻っておいで・私の時間」、「ドリーム・オブ・ユー」、「セプテンバー」、「不思議なピーチパイ」と立て続けに大ヒットを飛ばします。その後もコンスタントに誰にも響く佳曲を作り続け、マイペースながら現在も現役で活躍しています。

ごく初期のベスト盤は1982年の「VIVA MARIYA」ですが、その後の落ち着いた良質の(JPOPとは一線を画す)日本のポップスの名曲を含むのが1994年の「Impressions」です。まぁ、そこそこのファンはCD1枚のこれがおすすめ。

ただしヒット曲以外のものも含めて、それなりに聞きこみたいというのであれば、一番のおすすめは、デヴュー30周年記念として発売された2008年の「Expressions」でしょう。

企画の意図として、ファン投票を参考に自身が選曲した42曲をCD3枚に収め、他人が作った曲を歌うシンガー、自ら作って歌うシンガー・ソング・ライター、そして他人に楽曲を提供するソング・ライターという竹内まりやの3つの面を網羅しようというもの。

薬師丸ひろ子への「元気を出して」、河合奈保子への「けんかをやめて」などはよく知られていますが、竹内まりやとしては珍しいマイナー調で大ヒットした「駅」が中森明菜に提供した曲のセルフ・カバーというのはあまり知られていないかもしれません。

1982年に山下達郎と結婚。けっこう世の中を驚かせたニュースでしたが、以後山下を主アレンジャーとして、マイペース路線になっていきます。ただし、もともと山下と方向性が似ていたのもありますが、「竹内調」を堅持しているところはすごいところ。

このアルバムのキャッチコピーは「人生のところどころに彼女がいました」というもので、まさに言いえて妙という感じ。一曲によって人生が変わったという人は多くはないと思いますが、確かに一つ一つを聞いていると「ああ、あの頃あの時によく聞いたな」と思えて幸せな気分になります。